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 沖縄はきょう、戦没者を追悼し、平和を祈る「慰霊の日」を迎える。75年前の1945年、太平洋戦争末期の沖縄で、組織的な戦闘が終わったとされる日である。

 例年、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で開かれる全戦没者追悼式は、新型コロナウイルスの感染防止で沖縄県内の招待者のみで実施される。

 安倍晋三首相も参列しないが、これまで通り、国民全体で沖縄の悲劇に思いをはせる日にしたい。

 国内最大の地上戦となった沖縄戦では、民間人約9万4千人と沖縄出身の軍人軍属約2万8千人が亡くなった。県民の犠牲者は4人に1人に当たる。民間人は戦死した他府県出身の軍人約6万6千人より多い。

 日本軍は本土決戦への時間稼ぎをするため、持久戦を続けた。沖縄を「捨て石」にする作戦が住民を巻き添えにしたことは、忘れてはならない。この戦闘中、神戸出身の島田叡(あきら)知事も行方不明になっている。

 沖縄戦を体験した元知事の故大田昌秀さんは、沖縄の心は「平和を賞(め)でる心ばえ」だと言った。にもかかわらず75年間、沖縄は米軍基地の重荷を背負い続けてきた。この事実を深く受け止めなければならない。

 59年、石川市(現うるま市)に米軍戦闘機が墜落、宮森小学校の児童ら18人が死亡した。2004年、沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落し、17年には宜野湾市立普天間第二小に米軍ヘリの窓が落下した。住民の生命に関わる事故や米兵による事件は枚挙にいとまがない。

 とりわけ危険な普天間飛行場は、1996年の日米合意で5~7年以内に返還されることになっていた。だが目標は先送りされ、今は2030年代以降にずれ込む見込みだ。

 移設先の名護市辺野古での新基地建設に反対する声が強く、埋め立て海域に軟弱地盤があることなどが背景にある。政府は直ちに工事を中止し、国外、県外への移設も検討しながら早期返還の道を探るべきだ。

 基地の整理縮小に加え、沖縄県が求めているのが日米地位協定の抜本的な見直しである。

 協定は、公務中の米兵らによる事件事故で米国の裁判権が優先されるなど、米軍の特権的地位を定めている。これは日米安保条約とともに、きょうで発効60年となる。その間、一度も改定されていないことは政府の怠慢であるというしかない。

 沖縄大学長を務めた故新崎盛暉(あらさきもりてる)さんは、対米従属的な日米関係の矛盾が沖縄にしわ寄せされていると指摘し、それを「構造的沖縄差別」と呼んだ。平和を脅かす米軍基地の押しつけは、人権を侵害する行為であることを、本土の人間としてあらためて胸に刻んでおきたい。

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