時代の扉を開く人物は、高い理想と筋金入りの信念、粘り腰を併せ持つ。先日亡くなった台湾の李登輝元総統もその一人だろう。
台湾は戦後、中国共産党との戦いに敗れた国民党に統治された。その独裁に終止符を打ち、民主化を実現した最大の功労者が李氏だった。
本土から逃れてきた「外省人」の政治支配が続く中、台湾生まれの「本省人」として初めて国家元首の総統に就任したことも、中台関係を変える大きな一歩となった。
台湾の運命は台湾の人々の意思で決める。その当たり前のことが実現したのは、直接選挙を導入した、李氏の不屈の努力による。
その流れを受け継ぎ、民主化の発展を、東アジア全体の平和と安定に結びつけていきたい。
97年に及ぶ李氏の生涯は、台湾の戦前、戦後の軌跡と重なる。日本の植民地時代に台湾北部で生まれ、「岩里政男」の名で今の京都大に学んだ。在学中に志願して軍にも入隊した。親日家のルーツは戦前に受けた「日本人」としての教育にある。
安倍政権が安全保障法制の整備で集団的自衛権の一部容認にかじを切った際は、米軍との一体化の動きを評価する考えを示した。中国が領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島の問題でも日本側に理解を示した。
背景には、台湾自立方針が「独立派」と批判され、中国から激しい軍事的圧力を受けた事情がある。日米との関係強化で中国と向き合う、戦略的な計算だったに違いない。
一方、国民党の大幹部でもあった李氏が「台湾人」の素顔をはっきり示したのは、大陸出身の蒋経国氏の死去に伴って総統に昇格した1988年以降のことだった。
就任後に憲法を改正して直接選挙制を導入し、初の民選総統を96年から4年務めた。選挙制度は台湾社会に定着し、近年は李氏の自立路線を継承する民主進歩党(民進党)が国民党との政権交代を重ねている。
現在の蔡英文総統も民進党の所属で、総統時代の李氏が登用した人材だ。台湾と中国を対等な国同士の関係と捉える李氏の持論「二国論」の起草にも関わったとされる。
今や国民の大半が戦後生まれで、若年層は「台湾人」の意識を持つ。中国は「一国二制度」をほごにして香港への支配を強め、台湾へもさらに圧力をかけてくるだろう。
日本にとって中国との関係は重要だ。同時に、植民地だった台湾の発展を見守る道義的責任がある。
困難な状況でも地域の仲介役として共存と対話の努力を続ける。泉下の李氏が日本に期待するのは、東アジアの民主主義と自由を守り抜く、不屈の平和外交ではないか。
