社説

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 きょうで75回目の「終戦の日」を迎える。先の大戦で日本は敗れ、焦土からの長い歩みを重ねてきた。

 忘れてならないのは、その原点に「不戦の誓い」があったことだ。

 戦争で多くの国民が犠牲となっただけでなく、他の国や地域にも惨禍をもたらした。その反省に立ち、戦争を放棄し戦力を保持しない「平和国家」の道を選択したのだった。

 近年、その誓いを軽んじるような動きが続く。主導するのは「戦争を知らない」政治家たちである。

 戦争体験者らは、いずれそうした日が来るだろうと、早くから危惧を抱いていた。それが現実になろうとしているのなら、戦後の原点に改めて立ち返らねばならない。

       ◇

 小松左京という人がいた。「日本沈没」などの名作で知られる、日本を代表するSF作家だ。

 西宮で育ち、旧制兵庫県立神戸一中(現神戸高校)を卒業して今の京都大に学んだ。9年前に80歳で亡くなるまで、400を超える小説と多くのエッセーや評論を執筆した。

 鋭い文明批評でも気を吐いた、兵庫ゆかりの文化人である。

「戦争はなかった」

 その小松さんが「戦争はなかった」という短編を発表したのは1968年。高度経済成長が頂点を迎えようとしていた頃だった。

 中年の会社員が旧制中学の同窓会に顔を出す。酔って語り合うのは、理不尽に殴られ続け、工場に動員され、空襲から逃げまどった日々のこと。家庭を持ち生活が安定した今も戦争は心に影を落としている。

 ところが、この日は戦争の話に誰も相づちを打たない。逆に「戦争なんか知らないよ」と首を振る。

 翌日、仕事を休んで調べ歩くと、どの歴史書にも戦争に関する記述がない。戦争の記録と記憶が日本からすっかり消えてしまっていた。

 戦争体験者が突然味わった疎外感と動揺を、小説は描く。

 科学技術の発展に期待した小松さんは、一方で戦後の復興に強い違和感を抱いていた。小説と同じ時期に書いた評論にこうつづっている。

 「聖戦」と教え込まれ、人生の価値も世界観も戦争中心だった。それが「敗戦」で無意味になった。政府は「もはや戦後ではない」と胸を張り、「所得倍増計画」が始まる。だが奇跡の復興も、焼け跡に生えた雑草のように「ふわふわしたもの」にしか思えない。今はまだ国民の意識下に戦争への拒否感がある。だが体験者が少なくなれば、好戦的な動きへのブレーキもいずれ利かなくなるだろう。(「廃墟(はいきょ)の空間文明」)

 小説の主人公は、小松さん自身の姿でもあった。

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げる安倍晋三首相が政権に復帰したのは、くしくも小松さんが亡くなった翌年のことだった。

揺らぐ「平和国家」

 首相をはじめ菅義偉官房長官ら今の政権の中枢や側近は、ほとんどが戦後生まれの世代である。

 憲法改正を「悲願」とする首相は、野党勢力の分裂と高い支持率を背に、歴代政権が手を付けなかった禁断の領域に次々に踏み込んだ。

 典型は「憲法違反」の批判を押し切った集団的自衛権の行使容認だろう。閣議決定だけで従来の憲法解釈を百八十度転換した。武器輸出三原則も撤廃し、武器の禁輸政策を輸出を前提とする新原則に改めた。

 「平和国家」や「専守防衛」の戦後の基本姿勢を骨抜きにしかねない危うさがつきまとう。

 さらに自民党と政府は、自国が攻撃される前に他国の施設を破壊する「敵基地攻撃能力」の保有を急いでいる。相手に先制攻撃と受け取られ、反撃の口実を与えかねない危険をはらむが、時間をかけて是非を議論しようとする姿勢はみられない。

 長期政権のレガシー(政治的遺産)づくりを意図しているとの見方がある。米軍との連携強化で北朝鮮などに対抗する狙いもあるだろう。

 ただ、首相自身が国会で自衛隊を図らずも「わが軍」と呼ぶなど、戦後の歩みに関する基本的な認識に首をかしげる人は少なくない。

 小松さんの小説で、「戦争があったなんてどうでもいいじゃないの」と話す若い女性を前に主人公が考える。繁栄しても「この世界には、どこか痛切なものが欠けている」。何千万、何億の流血であがなわれたという「つらい認識」や「おぞましいきびしさ」がないのなら、身をもって知る自分が伝えるしかないと。

 原点が揺らぎ始めた今、風化を予感した体験者が鳴らした警鐘に、今こそ耳を傾ける必要がある。

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