社説

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 新型コロナウイルスの感染が爆発的な拡大を見せる中、阪神・淡路大震災の被災地はきょう、震災から26年の時を刻む。

 兵庫県にも緊急事態宣言が再発令され、追悼行事が相次ぎ中止や縮小を余儀なくされている。コロナ禍は「1・17」の風景を一変させた。

 自然災害なら救援者やボランティアが駆け付ける。人と人のつながりが、再生や復興の原動力になる。

 その人のつながりを、ウイルスは無情に断ち切る。むしろ人とあまり接触しないことを求められる。

 命を託す医療は崩壊の瀬戸際だ。国ぐるみで安全と安心を脅かされる状況は、経験したことのない「大災害」と捉えるべきだろう。

 試練の中で、私たちは助け合い、支え合う、新たな「共助のかたち」を見いだしていかねばならない。

     ◇

 6434人。26年前の震災で亡くなった犠牲者の数である。昨年10月、宝塚市が新たに1人を関連死と認定した。16年ぶりに統計が修正されれば「6435人」となる。

 東日本大震災の発生まで、阪神・淡路が戦後最多の死者を出した地震災害だった。亡くなった人の約5割を60歳以上の世代が占める。大半が建物倒壊などによる圧迫死で、津波の犠牲が9割を占める東日本大震災とは様相が異なる。

 とはいえ、どちらも高齢者の犠牲が最も多かった災害であったことは、改めて銘記したい。

 近年相次ぐ記録的な豪雨でも、まず危険にさらされるのは、自力避難が困難な人たちである。

高齢者らの命守れ

 災害対策では、高齢者や体の不自由な人など「要援護者」をいかに守るかが大きな課題とされる。

 同じようなことが、新型コロナの感染症にも当てはまる。

 重症化や死亡のリスクは、年齢が上がるほど際だって高まる。国内での感染確認以来、この1年の累計で死者は4千人を突破した。そのほとんどが、60歳以上の人たちだ。

 糖尿病や呼吸器疾患など既往症のある人も、症状の悪化で命の危険にさらされる恐れがある。大半が無症状か軽症にとどまる若年層とは危険のレベルが桁違いなのである。

 災害と同様、まず高齢者と既往症のある人を守らねばならない。

 厄介なことに新型コロナは症状が現れない段階でも感染力がある。若い人が知らずに年長者へとウイルスを広げる懸念が指摘されている。

 自然災害では、若い人がボランティアなど救援活動の大きな力だ。その若者との接触が、今は逆に高齢者らの危機を招きかねない。

 ドイツのメルケル首相が「大切な人を守って」「祖父母と会う最後のクリスマスにならないよう」と何度も呼び掛けたのはそのためだった。

 コロナ禍は超高齢化社会の急所を突く。それだけでなく、人の心に世代間を引き裂く暗い影を落とす。

 住民が力を合わせて負傷者を救出し、ぬくもりを実感した26年前とは対照的なありようと言える。

「市民力」が必要に

 災害の段階を時間のサイクルで捉える考え方がある。「発災」から「超急性期」「急性期」「亜急性期」を経て「慢性期」に移行し、復興の終了で「平穏期」を迎える。

 通常「超急性期」は2、3日程度、「急性期」「亜急性期」は2、3週間とされる。今は想定を超えて「急性期」から「超急性期」へと逆戻りしている状況と言えそうだ。

 県災害医療センターの中山伸一センター長は「県内でも医療の需要が供給を上回り、まさに『災害』だ」と指摘する。医療崩壊を回避し、「超急性期」を乗り切るため、みんなで耐え忍ぶ時期と受け止めたい。

 都市が破壊される自然災害と違って、コロナ禍ではインフラ機能は何とか維持されている。むしろ経済活動の落ち込みによる生活苦や、社会的孤立の影響が心配されている。

 困窮者を支え、共に生きる。感染が下火になれば必ず「市民力」が必要とされる時期が来る。「最後の一人まで」の理念を生んだ阪神・淡路の経験の実践を生かす時である。

 この状況下でも県内では、食料をひとり親世帯に配るなどの動きが芽生えている。支援の現場では医療知識が不可欠な場合もあるだろう。

 市民による新たな「共助」の展開を支えるのが、国や自治体による「公助」の役割だ。コロナ禍では医療と予防策を公助で強固にする責務がある。自然災害と同様に、感染症という災害へも備えを求められながらなおざりにしてきた。同じ失態を、政府は繰り返してはならない。

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