社説

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 阪神・淡路大震災から5年を前にした1999年12月、本紙の社説は「みんなが食べ物を分け合い、水くみを助け合い、声をかけて励まし合った」と振り返った。そして「痛烈な体験があるからこそ、他人を思いやることができる。『震災文化』と呼んでいいと思う」と書いた。

 地震の発生から四半世紀が過ぎ、被災地でも直接の体験者が減りつつある。震災文化、災害文化とは何かをここで考え直してみたい。

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 毎年1月17日、ひょうご安全の日推進県民会議が出す「ひょうご安全の日宣言」にも、繰り返し「災害文化」の言葉が使われてきた。

 「いろいろな災害の教訓が災害文化を育て 人も地域も強くなっていく」「災害文化を豊かにして 安全 安心社会に向かうのだ」

 震災の教訓を継承し、災害に強い安全なまちを目指す。南海トラフ巨大地震などの発生が予測され、震災後ではなく「災間」と言われているいま、そうした地域文化を醸成することは切実な課題である。

 ボランティア活動などにみられる共助、共生の文化も震災で育ったものだと言える。危機に備えるためにも、人に優しい地域にするためにも大切にしなければならない。

 地震を機に生まれた歌「しあわせ運べるように」などの音楽や絵画、さまざまな芸術作品も、言うまでもなく震災文化の一つだ。

語ることで共有する

 震災文化、災害文化についてもう少し深く考察したい。

 文化とは、一般的には人間の生活様式、そのとりわけ精神的な部分を指し、集団の中で共有されるものというのが一つの定義だ。

 そうであるなら、震災文化とは、災害を起点にして被災地の人々に共有される精神的な活動、あるいは災害に向き合うよりどころ-などと言えるかもしれない。

 寺田匡宏・総合地球環境学研究所客員准教授が2018年に出版した「カタストロフと時間」(京都大学学術出版会)を手掛かりにして考えてみよう。同書は阪神・淡路大震災を中心に、人々が災害をどう受け止め、記憶していくかという課題に取り組んだ900ページに及ぶ労作だ。

 寺田さんは「過去は語られることによって、他者と共有される」と書く。そして震災体験を記録することは、災害後の時間を「修復」することだと説明する。確実にあると思われた未来を失えば、視線を過去に向けるしかない。とりわけ被災者にとって、時間のバランスが崩れたままでは、未来の視点から語るべき復興もままならない。

 つまり震災について語り、それに耳を傾け、記録することで、個人の体験が未来に向けた社会全体の記憶と経験になる。その営みの積み重ねが文化になるということだろう。

過去を今にすること

 阪神・淡路の被災地には多くの震災モニュメントがある。その一部をたどる「1・17ひょうごメモリアルウォーク」が、今年は新型コロナウイルスの感染拡大で中止になった。やむを得ないが残念でならない。

 モニュメントを訪ね歩く行為について、同書は、震災という過去に現在の立場からかかわり、過去を現在にすることだと述べている。

 昨年、92歳で亡くなった元NPO法人理事長の上西勇さんは慰霊碑などを一つ一つ自転車で訪れ、震災モニュメントマップの作成に携わり続けた。こうした市民の地道な活動こそが震災文化を支えてきた。

 寺田さんはまた、公的な記憶の問題点も提起する。例えば神戸市中央区の人と防災未来センターは、震災の経験を伝える公的な施設を代表するものだ。その開館前、地震の揺れを再現するような展示が必要かどうか意見が分かれていた。

 結果的に多くの入場者に受け入れられている。しかし準備段階の議論は決して十分でなかったというのが寺田さんの指摘だ。公的な記憶は誰にも開かれているもの、パブリック(公共的)なものでなければならないと強調する。

 その課題には東日本大震災の被災地も直面している。庁舎や学校などの災害遺構を残すかなどで意見が分かれ、話し合いを重ねる。震災以外の災害を含め、記憶の継承について市民が自由に参加し、意見を出せるような仕組みは欠かせない。

 公的な記憶をつなぐ努力を重ねるとともに、個人の記憶にもしっかりと耳を傾ける。震災を直接体験したかどうかにかかわらず、その経験を共有し、思いやりのある震災文化を築いていく営みを続けたい。

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