愛知県の大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動で、県選挙管理委員会に提出された署名約43万5千人分のうち、8割超に当たる36万2千人分が無効とされた。前代未聞の事態である。
他人の名前を勝手に書くなど、偽造された疑いが濃厚という。人材紹介会社を通して、佐賀県でアルバイトが名簿から名前を書き写す作業に動員されたとの証言もある。愛知県議や県内の市議が名前を使われ、既に亡くなっている人も8千人分含まれるなど、耳を疑う話ばかりだ。
署名の偽造は民主主義の根幹を揺るがしかねない大問題である。県選管は容疑者不詳のまま、地方自治法違反容疑で愛知県警に告発し、県警は関係者から事情聴取するなど強制捜査に乗りだした。全力を挙げて真相を解明しなければならない。
リコール運動は、美容外科「高須クリニック」の高須克弥(かつや)院長が主導して、昨年8月から署名集めを始めた。河村たかし名古屋市長も支援し、11月に選管に名簿を提出した。
現職知事の解職は、住民投票で賛否を問うことができる。愛知県の場合、同法の規定で約86万6千人分の署名を集める必要があるが、提出名簿はその半分ほどにとどまり、リコールは不成立に終わった。
ただ、「不正な署名があった」との情報が寄せられ、不成立にもかかわらず選管が署名の真偽をチェックする、異例の展開になった。
その結果、筆跡が同一とみられる例が次々に見つかり、最終的に無効と判定された署名の9割に達した。選挙人名簿に記載のない名前も4割を占め、組織的に大量の「水増し」が行われた疑いが強まっている。
発端は、一昨年開催された芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、慰安婦をモチーフにした少女像や昭和天皇に関する映像作品などを高須氏らが問題視したことだった。実行委員会会長を務めた大村知事の対応を批判し、河村市長も賛同して解職請求の署名運動に発展した。
地方自治のリコール制度は、有権者が首長などの責任を問う直接請求の一つで、間接民主主義を補う重要な仕組みだ。全国では、住民運動で疑惑を指摘された市長や議員らが辞職に追い込まれた例もある。
それだけに、制度悪用は有権者に対する背信行為と言うしかない。高須氏や河村市長は不正への関与を否定するが、「自分たちも被害者」と言うだけでは説得力を欠く。自ら事実を明らかにするよう努め、県民への説明責任を果たすべきだ。
捜査には時間がかかるだろうが、徹底的に調べてもらいたい。中途半端な幕引きでは、日本の地方自治の歴史に重大な汚点を残す。








