東日本大震災の発生から、きょうで10年になる。関連死を含めた死者・行方不明者は2万2千人を超え、全国に散らばる避難者はなお約4万1千人に上る。
被災地を支援する政府の「復興・創生期間」は3月末で終了する。住まいの再建やインフラ復旧は終盤を迎えたが、足元を見れば人口減少と高齢化は深刻だ。産業再生や観光振興、原発事故に伴う避難者の帰還は進まず、重い課題として横たわる。復興は途上というしかない。
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津波による住居喪失の後、被災地には巨大復興事業が降りかかった。被災者が直面したのが「どこに暮らすか」という問題だった。
高台などへの防災集団移転促進事業は、2019年度末、27市町村324地区全てで宅地造成を終えた。
国の予算で賄われたが、調査や計画、住民合意、用地取得、国への申請、発注などの膨大な手続きに、市町村の担当者は忙殺された。事業は遅れに遅れ、当初は集団移転を望んだ多くの住民が待ちきれずに故郷を去った。計画が縮小された地区や空き地が目立つ地域も少なくない。
沿岸部の人口減少に歯止めがかからず、岩手、宮城、福島3県の人口は10年間で約38万人減った。復興道路の開通など交通アクセス向上で、過疎化はさらに進む恐れもある。
住む場所を巡る選択は「誰と生きるか」という問いでもあった。
高台などに集団移転した小規模な団地のコミュニティーの継続も容易ではない。10年が経過し、住民の高齢化で空き家が増えつつある。復興は住宅を建てて終わりではなく、そこが故郷としてあり続けることこそが重要である。
被災した企業の再生も遅れた。国や県のグループ補助金を利用して再建した企業のほぼ半数が、震災前の水準まで売り上げを回復できていない。復興需要が終息を迎え、地域経済の低迷が懸念される。
「復興五輪」を掲げる東京五輪・パラリンピックを夏に控えるが、新型コロナウイルスの感染拡大による経済への影響は底が見えない。
公共事業偏重に課題
阪神・淡路大震災では、高齢者が数多く暮らす仮設住宅や復興住宅が将来の高齢社会の「先取り」とされた。東日本では経済成長が鈍化し、人口が減少し始める中での大災害という、より深刻な事態に直面した。
政府は、その復興に巨額の国家予算をつぎ込んだ。
約33兆円が投じられた復興事業は被災地の再生を後押ししたが、公共事業に偏り、被災者に復興の実感は乏しい。給付やソフト対策など被災者支援経費の比重は1割に及ばず、生活やなりわいを支えきれてはいない。国は今後5年間でさらに1・6兆円を投じる。問われるのは予算の規模ではなく使途だ。南海トラフ地震など将来の大規模災害への備えを進める上でも、厳しく検証されなければならない。
震災後、宮城県気仙沼市で住宅再建や復興まちづくりを支援してきた神戸在住の建築家、野崎隆一さんは「東日本を機に公助拡大をよしとする風潮が広がった。復興は公助と自助、共助のバランスこそが大事。地域性に応じた、行政と住民の連携の視点が乏しかった」と指摘する。
暮らしの支援着実に
復興は地元が中心にならないと失敗する。阪神・淡路の教訓だ。住む人が主役である復興には、草の根レベルからの積み重ねが欠かせない。
阪神・淡路では、行政の復興計画とは別に、専門家やボランティアの代表者らが「市民がつくる復興計画」をまとめた。全てが政策に反映されたわけではないが、被災者の視点から目標の共有と復興の検証を可能にする。今後の災害でも、住民の声を生かし、長期的な復興ビジョンを描く作業は不可欠だ。
多くの人がなお被災のただ中にある。孤独死、失業による困窮、巨大防潮堤にみられるような自然と生活の分断があり、経済的な格差も顕在化する。生活の支援を、一歩一歩着実に進めていかねばならない。
心の復興もこれからが正念場だ。ひょうごボランタリープラザの高橋守雄所長は「仮設住宅で共に過ごした被災者も時を経て、関係が薄れつつある。兵庫とのつながりで支える」と話す。この10年で派遣したボランティアは約1万5千人に上る。
10年の節目を、被災地の今に目を向けるきっかけにすることが大切だ。東日本の被災地が抱える課題は人口減が進む地域に共通する現実でもある。被災者の心に光が差すまで、その歩みを支え続けたい。
