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 公害の原点として知られる有機水銀中毒症・水俣病の公式確認から、きょうで65年になる。被害者は数万人規模あるいは数十万人規模とも言われるが、公害病と認定された患者は約2300人にすぎない。

 未認定患者の救済策から外れた被害者も多く、各地で訴訟が続く。国は一刻も早く救済を拡大し、半世紀以上に及ぶ公害問題の全面的な解決を図らなければならない。

 1956年5月1日、熊本県水俣市の医師が、原因不明の中枢神経疾患が多発したと保健所に届け出た。このとき入院した5歳の少女は全身がけいれんし失明した。そして3年ほど泣いて苦しんだ末に死亡した。

 原因はチッソ水俣工場の排水に含まれていたメチル水銀である。汚染魚を食べた住民に感覚障害や運動失調などの症状が出た。被害は不知火(しらぬい)海の漁村に集中し、一家全員が発病した例もあった。胎児性の患者も出た。悲劇と言うしかない。

 水俣病犠牲者慰霊式は新型コロナウイルスの影響で、2年連続で中止となった。亡くなった人を追悼するとともに、環境を破壊した反省を心に刻む日であるだけに残念だ。

 65年前、水俣病は「奇病」と呼ばれ、感染すると誤解された。差別的な扱いを受けた患者や家族もいたという。現在のコロナ患者や医療従事者に対する偏見にも重なる。

 だが水俣市民は、住民同士の絆を回復する「もやい直し」という取り組みを続け、対話や催しを積み重ねてきた。「もやう」は船と船をつなぐことを意味する。コロナ禍のいま、公害による分断から地域を再生させてきた経験に学ぶことは多い。

 被害者らは、自らの手でも救済の道を開いてきた。患者認定には複数の症状があるなどの厳しい条件があるが、2004年の関西訴訟最高裁判決や13年の別の最高裁判決は感覚障害だけで水俣病と認めた。

 これに対し、環境省は認定基準はそのままに、新たな運用指針を示したのみで、認定の厳しさはさほど変わっていない。09年に成立した水俣病特措法による一時金支給などから漏れた申請者も少なくない。

 被害者は高齢化が進む。国はチッソによる水銀の垂れ流しを止められなかった重い責任を自覚し、被害者切り捨ての姿勢を改めるべきだ。

 特措法では、被害者らが長年求めてきた住民健康調査の実施も定めている。ところが環境省は「調査手法を研究している」として先延ばしにしてきた。時期や対象などを早急に明らかにしなければならない。

 患者かどうかの線引きよりも、どうやって被害者を支えるかを考える共生の社会が望ましい。水俣病問題の全面解決をその一歩にしたい。

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