「事件」ではなく「血の弾圧」と呼ぶべきだろう。
32年前の6月に中国・北京で起きた天安門事件は、民主化を求める学生や市民を軍が銃弾と戦車で殺傷した、国家による虐殺行為そのものだった。
現場にいた日本メディアの記者たちも、機銃掃射の下を逃げた体験を報告している。
中国当局は死者数を319人とするが、正確な数は今も不明で、「1万人」との見方もある。おびただしい犠牲者が出たのは否定できない事実だ。
香港で毎年開かれてきた大規模な追悼集会が、今年は当局の圧力で中止に追い込まれた。「負の歴史」を消し去ろうとする言論統制の動きには、強い憤りを抱かざるを得ない。
当時、天安門広場では、改革派指導者で総書記も経験した胡耀邦(こようほう)氏の死去を悼む学生らが集まり、やがて大規模な民主化要求デモに拡大した。
旧ソ連ではゴルバチョフ政権による改革が進み、欧州ではベルリンの壁が崩壊するなど、社会主義陣営の体制が大きく揺らいだ年だった。中国でも変革への期待が高まり、神戸でも中国人留学生が祖国の民主化を求める声を上げていた。
そうした動きに対し、中国政府は軍による武力行使に踏み切った。戦車の隊列がバリケードに突っ込み、銃声が響く。共産党一党支配を維持するための激烈な対応に、変革への楽観ムードは恐怖で凍り付いた。
中国政府は事件を「政治風波(騒ぎ)」として弾圧を正当化する。報道やインターネットを規制し、事件を語り継ぐ言論を取り締まっている。
ただ「一国二制度」で言論・集会の自由が保障されてきた香港では毎年、追悼集会が開かれていた。しかし今年は「新型コロナウイルス対策」を理由に警察が大規模集会を禁止し、事前に封じ込める措置を取った。
習近平政権は香港で国家安全維持法を施行し、民主活動家を訴追して支配を強化する。中央による統制強化が、いっそう露骨になったと言える。
ミャンマーでも軍が国民に銃を向けている。権力者による暴力を許さないためにも、記憶を共有し、国際社会で声を上げ続けなければならない。








