広島に続いて長崎がきのう、76回目の「原爆の日」を迎えた。新型コロナウイルス感染症が拡大する中、平和祈念式典は昨年に続き、例年より規模を縮小して行われた。
それでも、原爆を投下した当事国である米国をはじめ、核保有国を含む63カ国などの代表者が出席し、被爆地の訴えに耳を傾けた。
今年は「被爆100年」という未来の節目に向けた、新たな25年の始まりの年でもある。田上富久長崎市長は平和宣言で「次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう」と呼び掛けた。
人類社会は今、重大な岐路に立っている。核の脅威が増す中、国際社会では「廃絶」を求める声も高まりを見せる。「唯一の被爆国」である日本が核なき世界の実現に果たす責任は、これまでになく重い。
今年1月、核兵器の開発、実験、保有などを禁止する核兵器禁止条約が発効した。広島市の松井一実市長が日本も条約の締約国となるよう政府に促したのに続き、田上市長も条約の署名と批准を政府に求めた。
さらに、田上市長は「核の傘」でなく、「非核の傘」を複数の国で共有する「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討も提案した。
これは、世界各国の非政府組織や研究者などが集まる国際会議「地球市民集会ナガサキ」が打ち出した考え方だ。核競争の悪循環を乗り越えるための理念である。
現実には北朝鮮の核・ミサイル開発で北東アジアの緊張が高まり、中国も核戦力を増強させる。だが廃絶の地道な努力を放棄すれば、人類破滅までの時間を示す「終末時計」の針を戻すことはできないだろう。
おととい、東京五輪閉会式で聖火が消された。きのう、同じギリシャの聖火が、長崎市・爆心地公園にある「誓いの火」にともされた。
「平和の象徴」であるオリンピックの聖火は、ギリシャから長崎市に贈られ、毎月9日と毎年の「原爆の日」に公園で点灯されている。
長崎では、76年前の原爆で約7万4千人がその年に死亡した。多くの人が放射線の被害に苦しみ、死没者は19万人に迫る。今年、名簿に新たに3202人が追加された。
長崎では、国の指定地域外で原爆に遭い、被爆者と認められていない「被爆体験者」が5千人を超えている。長崎県、市は広島の「黒い雨」の被爆者認定に準じた柔軟な救済を求めているが、菅義偉首相はきのうのあいさつで何も触れなかった。
核兵器禁止条約への参加に後ろ向きな上、国内の被爆者援護にも腰が重い政府の姿勢が、今年も浮き彫りになった。新たな25年の始まりの年なのに、残念でならない。
