社説

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 きょう、阪神・淡路大震災の発生から27年になる。1月17日は、ともに生きてきた多くの人たちの命日であり、今を生きる者が新たな一歩を刻み始める日でもある。

 毎年のように各地で自然災害が起こる。近い将来、巨大災害に見舞われる恐れもある。命を守り、一人ひとりを大切にし、支え合う社会を築くために何ができるか。積み重ねてきた経験と教訓を次の世代に受け継ぐ取り組みは、重要さを増す。

 死者6434人、行方不明3人。あまりにも多くの命が奪われた。その無念を受け継ぎ、伝え続ける責任が私たちにはある。

    ◇

 淡路市(旧北淡町)の北淡震災記念公園は、震災で地表に現れた野島断層を保存、展示している。入館者の大幅な減少など、新型コロナウイルスの感染拡大が影を落とす。

 総支配人の米山(こめやま)正幸さん(55)は自らの体験や被災者らの話を語り継いできた。震災前から暮らす富島(としま)地区は断層に近く、26人が死亡し、建物の8割が全半壊した。消防団員だった正幸さんは、住民の捜索と救助に奔走した。古い漁師町で隣近所の強い結びつきが役立ち、当日夕方には行方不明者がゼロになった。共助の大切さを社会に発信した。

 語り部は2005年に始めた。最初は自らの体験を語れば耳を傾けてもらえたが、次第に利用者から、自治会長や民生委員、教員、遺族ら多様な立場の人々の経験談を求める声が寄せられるようになった。

 正幸さんは「1人の体験では被災の全てを語りきれない。多様な経験を共有すれば、多くの教訓を伝えられる」と当事者から体験談を聞き取り、「自分のこと」として語る。

 「被災の記憶をつなぐことは誰でもできる」。被災者だけが語り部ではないとの正幸さんの言葉は、風化を懸念する人の実感だろう。

被災者の心を継ぐ

 そんな父の姿を見て育ったのが、娘の未来(みく)さん(27)=川崎市=だ。発生当時は生後2カ月で、記憶はない。自らも語り部になろうと決めたのは、大学進学で上京したのがきっかけだ。首都圏では1月17日にも阪神・淡路大震災が話題に上らない現実に衝撃を受けたという。

 大学の卒論で震災をテーマにしたのを機に、正幸さんの話を聞く機会が増えた。東日本大震災の被災地を訪れ、多くの人の体験にも耳を傾けた。自分なりの語りを模索し、会員制交流サイト(SNS)でのライブ配信を通じて防災、減災の大切さを説いている。若者ならではの活動が共感を広げることを期待したい。

 未来さんは昨年12月、神戸で開かれた「全国被災地語り部国際シンポジウム」に登壇した。「記憶がないのに、何を話せるの?」と言われ、涙したことを吐露した。「経験がなくても語り部はできる。被災者から聞き取った感情や心の受け継ぎをしてほしい」という父の助言を胸に刻んでいると述べた。

 正幸さんは「伝え方はいろいろあっていい。見聞きした災害の話を伝えることで救われる命もあるはず」と未来さんの後押しをする。

 歳月を経るごとに、震災を知らない世代や転入者が増え、地域の高齢化が進む。震災を伝える「2代目」を育てていくのは簡単ではないが、その仕組みづくりを被災地全体で考える必要がある。

経験の伝え合いを

 災害の記憶をさらに次の世代につないでいくには、さまざまな経験の伝え合い、学び合いが重要になる。地域や教育の場で、語る人の熱意を持続させ、記憶のバトンを受け渡す機会を重ねる努力は欠かせない。

 忘れてはならないのは、災害はまたいつか必ず来るということだ。

 体験者が語る言葉を大切に引き継いでいかねばならない。人々が思い出したくないつらい記憶を伝えてきたのは「次の世代を災害から守りたい」との強い思いがあるからだ。

 27年間の歩みを振り返り、足元を見つめ直す。一人でも多くの命を守るために、記憶と教訓を受け継いでいく。その誓いを新たにしたい。

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