社説

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 東日本大震災の地震と津波による東京電力福島第1原発事故後、避難した住民らが国に損害賠償を求めた4件の集団訴訟で、最高裁が国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。約30件の同種訴訟の中で最高裁が示した初の判断であり、後続の関連訴訟への影響は避けられない。

 控訴審では、4件のうち3件で高裁が国の法的責任を認めていた。国策として推進してきた原発の安全性に対し、国が責任を負わないなら誰が負うのか。国民の命と生活に関わる重責を電力会社だけが担うのは到底無理であり、納得できない。

 4件は福島、群馬、千葉、愛媛で提訴された。東電への賠償命令は確定したが、国の責任については一、二審での判断が割れていた。原告は4件で約3700人に上り、神戸地裁に提訴された兵庫訴訟を含めた全国では約1万2千人に及ぶ。

 一連の訴訟では国が巨大津波を予見できたか、対策を講じていれば事故を防げたかどうかが争われた。

 原告側は、2002年に政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が公表した「長期評価」に基づき、国が東電に津波対策を指示していれば事故を回避できたと主張した。国側は「長期評価は精度や確度を欠いていた」と反論し、仮に防潮堤などを設けていても、津波は想定外の規模であり事故は起きていたとした。

 これに対し、判決は「仮に国が規制権限を行使し東電に必要な措置を命じていても、津波による大量の浸水を防ぐことができなかった可能性が高い」と結論づけた。裁判官4人中3人の多数意見だった。

 「対策があれば津波の影響は相当程度軽減された」とし、国の責任を認めた昨年2月の東京高裁判決とは真逆の判断である。最高裁判決は、国が原発に安全対策を命じる責任がないと述べているに等しく、稼働自体に不安を抱かざるを得ない。

 看過できないのは、最高裁が、津波の予見可能性についての重要な判断を避けた点である。

 地震本部は阪神・淡路大震災を教訓に発足した機関だ。本部長を文部科学相が務め、調査研究は大学や研究機関の専門家が担う。政府の機関による地震予測を国が信頼しないというのは自己矛盾も甚だしい。最高裁はどう考えているのか。

 政府は「脱炭素社会」の実現を理由に、原発を最大限活用する方針を掲げる。だが原発を巡る安全対策や避難計画の不備が司法の場で厳しく批判されている。先月には北海道電力泊原発が、津波への備えが不十分として運転差し止め判決を受けた。

 法的責任を免れたからといって、政府が原発の安全性維持の努力を怠るようなことがあってはならない。

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