新型コロナウイルス対策で厳しい行動制限を強いる中国の「ゼロコロナ」政策に反対する市民が、各地で抗議活動を続けている。首都北京で千人近い規模のデモが行われたのをはじめ、ロックダウン(封鎖)の解除などを求める行動が全土に広がった。政府による言論統制が厳格な中国では異例の事態だ。
抗議活動を受け、中国政府は過度な防疫措置の緩和を進める姿勢を示し始めた。「対策を適正化する条件が整った」と柔軟さをアピールするが、陽性者の洗い出しと強制隔離という対策の根幹は変わっていない。
ゼロコロナ政策を推し進めてきた習近平指導部は、抗議の声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。
中国は徹底した封じ込めで世界に先駆けてコロナを克服したと国内外に誇ってきた。他国より死者は少ないとして、国民も行動制限を受け入れてきた。
だが11月に入って感染者が急拡大したため、北京などで外出が禁じられ、飲食店や商業施設も閉鎖された。市民生活と経済に大きな影響が出ている。行動制限に不満を抱いた市民が、習指導部に対し抵抗の意思を表したのは理解できる。
抗議の中心になっているのは閉塞(へいそく)感を抱く若者たちである。ゼロコロナを批判するだけでなく、独裁色を強める習国家主席の退陣や表現の自由を求める主張にもつながっている。
中国政府は「違法行為を断固取り締まる」と批判を強硬に抑え込む構えだ。これに対し、国連の事務総長報道官が「平和的な集会と結社、デモの権利は重要だ」と述べるなど、国際社会では取り締まりへの懸念が強まる。習指導部はこうした指摘を重く受け止めてもらいたい。
当局が学生に銃を向けた1989年の天安門事件は、改革派だった指導者胡耀邦氏の死去がきっかけだった。そのため習指導部は先月死去した江沢民元国家主席の追悼行動を警戒する。
だが、たとえ運動が大規模化したとしても武力弾圧の悲劇を繰り返してはならない。
中国政府は習氏の威信にこだわらず、社会の現実に目を向ける必要がある。習氏は、硬直的な政策を続ければかえって自らの政権基盤を危うくすることを自覚しなければならない。








