社説

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 車いすテニス男子の第一人者で、パラリンピックでダブルスを含む4個の金メダルを獲得し、四大大会で通算28度優勝した国枝慎吾選手が、世界ランキング1位のままで現役を引退した。輝かしい実績を見れば「もう十分やり切った」とのコメントも納得できる。パラスポーツの世界をけん引し続け、完全燃焼したアスリート人生に心から拍手を送り、敬意を表したい。

 小学校6年でテニスを始めた国枝さんは、シングルスでは2008年のパラリンピック北京大会で優勝、12年ロンドン大会と一昨年の東京大会も制した。昨年7月、四大大会で唯一未冠だったウィンブルドン選手権で悲願の初優勝を遂げ、「生涯ゴールデンスラム」の偉業を達成した。パラスポーツの認知度を高めた功績は計り知れない。

 引退会見で、東京大会の金メダルについて「夢がかなった瞬間。一番の集大成だった」と振り返った。38歳までの競技歴全てが前人未到の足跡である。

 09年にはパラアスリートとしては異例のプロへの転向を宣言し、スポンサーを募って競技に専念する環境を自ら整えた。東京大会を終えて「純粋なスポーツとしての土台を用意できた」との手応えを得たという。パラスポーツの地位を向上させ、障害者の持つ可能性を広げた社会貢献は特筆すべきものだ。

 ただ、競技人生がずっと順調だったわけではない。16年パラリンピック・リオデジャネイロ大会では右肘痛のため、準々決勝で敗退した。そこからフォームを改善するなど努力を重ね、復活を果たした。世界ランク1位は通算582週にも及ぶ。不調も乗り越えてトップを維持した精神力には舌を巻く。

 自らを鼓舞し続けたのが「俺は最強だ」の合言葉だ。このせりふはメンタルトレーナーとの対話から生まれ、口にするだけでなく、心の底から信じ込むようにしたという。生き方そのものの一つの手本になる。

 政府は、国枝さんへの国民栄誉賞の授与を検討している。王貞治さんや羽生結弦さんと名を連ねるにふさわしい。今後も健常者と障害者の垣根をなくす活動を続けるという。競技と同様に意義のある仕事だ。新たな挑戦にも注目し、応援したい。

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