岸田文雄政権による防衛力の強化が進んでいる。戦後日本がなんとか回避してきた「軍事大国」への道を踏み出すのか、踏みとどまるのかの岐路である。しかし、残念ながら国民的な関心が高いとは言えない。思わぬ方向に転がり落ちてからでは遅い。自分たちが今、どこに向かっているのかを知ることが大切だ。
日本国憲法はきょう施行76年を迎えた。改めて憲法が掲げた「平和主義」の現在地を確認しておきたい。
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国のかたちに関わる重大な政策転換にもかかわらず、「平和国家としての歩みは変わらない」という決まり文句を繰り返し、実質的な議論に持ち込ませない。
一方で、「戦後最も厳しく複雑な環境に置かれている」と危機を強調しながら、具体的にどんな事例が想定されるかは示さない。
安全保障政策と憲法の関係を巡る政府の説明や国会審議では近年、このパターンが繰り返されてきた。とりわけ第2次安倍政権以降は顕著だ。その結果、国会論戦は深まらず、国民は興味を失い、憲法の解釈変更が粛々と重ねられていった。
安保政策転換の完結
集大成とも言えるのが、昨年12月、岸田政権が閣議決定した安全保障関連3文書の改定である。
外交・防衛の指針「国家安全保障戦略」には、敵基地攻撃能力を言い換えた反撃能力の保有を明記した。「国家防衛戦略」では防衛装備移転三原則の見直しを検討し、「防衛力整備計画」には米国製巡航ミサイルトマホークの購入などを盛り込んだ。今後5年間の防衛費を総額43兆円とし、国内総生産(GDP)比の目安を1%から2%に引き上げる。
3文書が同時に改定されるのは初めてだ。安倍政権は2014年、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認する閣議決定をした。これを出発点とする、安保政策の転換を完結させる狙いが見える。
太平洋戦争の反省から戦力不保持を掲げる憲法9条の下、日本は「専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならない」ことを基本理念としてきた。
だが、改定内容が実行されれば、相手国の領域内に直接ミサイルを撃ち込むことが可能になり、殺傷力のある武器輸出も解禁される。「抑止力の強化が平和を担保する」という政府の説明では、周辺国との軍拡競争を招いて戦争のリスクを高める懸念は消えない。
23年度予算で6兆円を超えた日本の防衛費は既に世界9位を占める。これが倍増されると米国、中国に次ぐ3位に浮上する。平和主義を掲げる憲法を持ちながら軍事大国化を図るという矛盾に目をつぶれば、限られた財源で社会保障や医療、教育など憲法が保障する基本的人権を守る施策が後回しになる恐れがある。
これだけの政策転換を、岸田首相は国会閉会後の閣議決定で済ませてしまった。その安易さには驚くばかりだ。今年1月の施政方針演説で「憲法の範囲内であり、平和国家としてのわが国の歩みをいささかも変えるものではない」と述べたものの、憲法論には踏み込まなかった。
普遍的で新しい価値
学者や非政府組織(NGO)関係者らで平和外交の在り方を示す「平和構想提言会議」の共同座長を務める青井未帆・学習院大教授(憲法学)は「政府にとって安保政策を巡る憲法論は、14年の閣議決定で決着済みなのだろう。国民の側が『おかしい』と言い続けなければ、その姿勢は変えられない」と指摘。「『9条があるから大丈夫』といった狭い憲法論にとどまらず、国家を超えて人間が平和に生きる権利を保障する憲法の価値を見直したい」と話す。
憲法前文は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とうたう。差別や貧困の撲滅、気候危機対策、包摂社会などを掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と重なり合う。自国中心主義に陥らない普遍的なメッセージとして世界に受け止められるだろう。
青井氏らは「市民が参画する新たな安全保障」として、憲法の原則に立ち、弱い立場の人々の視点を取り入れた社会経済政策や市民運動の活性化、東アジアでの民間主導の対話などを提言している。
憲法前文の主語は「日本国民」である。同性婚を巡る違憲訴訟など家族のかたちを巡る議論は、憲法の多様な可能性を問うものでもあろう。平和主義の危機を一人一人の問題として受け止め、憲法に新たな価値を見いだすことから始めてみたい。
