• 印刷
(luxorphoto/stock.adobe.com)
拡大
(luxorphoto/stock.adobe.com)

 中年のサラリーマン。勤務態度は真面目で、成績も悪くない。犯罪とは無縁のキャリアを歩んできた。企業のコンプライアンス(法令順守)が重視される世の中の流れも理解している。そんなどこにでもいる会社員が、危うさを感じながらも、「汚職」に身を落とした。

 神戸地裁で5~6月にあった兵庫県内の贈収賄事件の公判。事件の構図は、公務員の側が業者側に賄賂をせびる「要求型」。贈賄罪に問われたのは、水道系建築会社の営業部門に勤める男性社員3人だった。なぜ賄賂の求めに応じたのか。証言台に立った被告たち自身も自問しているように見えた。

 ここでは、社内での地位が高い順に、H、U、Mとする。公判で示された証拠や供述から経緯をたどろう。

■当事者は国内最大手企業の社員たち

 3人の会社は岐阜県に本社を置き、社員約700人。全国20カ所に工場や支店を構え、海外にもグループ企業がある。主力製品は浄水施設用のステンレスタンク。市場はライバルの1社とともに寡占状態で、二大メーカーで国内シェアの約9割を占める。

 3人が所属する営業部門は、自治体職員に自社製品をアピールし、公共工事の設計に組み込んでもらうのが仕事だった。近年、多くの自治体が水道設備の老朽化に直面し、商機はあちこちに転がっていた。

 一番若手のMは事件当時、40代後半。京都、兵庫の約60自治体で営業回りを担当していた。狙いを定めた自治体に足を運び、担当職員たちと関係を築く。前向きで熱意にあふれ、営業成績は西日本で「1、2を争うエース」だったという。

■取れない契約、焦るエース社員

 Mが兵庫県の西端にある赤穂市に目を向けたのは2016年。複数の設備が老朽化しているとの情報を得た。Mは営業を掛けたが、自社の製品は一度も採用されなかった。

 Mは焦った。自社と、ライバルメーカーの製品には互換性がない。公共工事の設計図は大抵、どちらの会社の製品を使うか決めてある。両社に中立な設計になることもあるが、ほとんどは入札前の図面が完成した時点でメーカー間の競争は終わり。赤穂市では、工事の設計を市から委託された業者がライバル会社の製品を前提にした設計図を市に納品していた。

 19年秋、Mは市から設計業務を受注する業者に掛け合ったが、感触は良くなかった。もはや発注主の市の意思決定にてこ入れするしかない。「なんとかなりませんか」。すがった相手が、担当課長だった。

 課長は、設計業者に口添えしてくれたが、結局何も変わらなかった。口添えの礼を言ったMに、課長が持ち掛けた。「自分が設計書を書き換える」

 予期せぬ提案にMは喜んだ。正攻法ではなかったが「営業で当社の製品の良さが理解してもらえたと思った」という。

 変更の見返りは何も要求されなかった。口約束でも、約束は約束。Mはこの工事を「受注予定案件」とする報告を会社に上げた。

■困った時は上司を頼れ

 課長から再び連絡があったのは約束を交わして約半年後。「赤穂市の別の工事で、業者に払う補償金を用意しないといけない。210万円を貸してもらえないか」

 断れるなら断りたかった。だが応じなければ図面の差し替えの約束がほごになるのでは-。関係が悪化すれば将来、他の案件にも影響するのではないか-。

 逆に「今回の案件を取れれば、今後も工事が取れる」との打算も働いた。内心揺れながら10歳上の直属の上司Uに対応を相談した。

 「まずいですよね」というMの言葉に、Uは「賄賂だ」と確信した。だが「やめろ」とは言わなかった。さらに上司の判断を仰ぐ。入社して約25年。困った時はそうしていた。

 判断を託されたのは上司H。60歳を前に西日本の水道営業統括まで上り詰めたキャリアを持つ。そのHが特に評価し、目を掛けていた部下がMだった。

 「Mはよほど切羽詰まっているのでは…」

 Hの認識では、Mは会社から課された営業ノルマを半分も達成できていなかった。部下の未達成は自分のノルマにもかかわる。Hは自分の個人口座から210万円を引き出すことにした。

 だが、皮肉なことに、当のMは「会社からプレッシャーは掛けられていなかった」と明言している。焦りはあったが、赤穂市の案件は「あればあるでよかった」程度だったという。

 Uも「数ある中の一案件」としか見ていない。いわく「公共工事はある時はあるし、ない時はない」。

 その程度の案件のために貯金をくずしたH。金は自分が立て替え、会社には後で相談するつもりだった。しかし、「金を渡してからでは、なんと相談していいのか分からない」。身動きできなくなっている自分に気付いた。

■罪の代償は家族にも

 21年1月中旬、3人と担当課長のもとに兵庫県警の捜査員がやってきた。逮捕された全員が、現金は設計変更など有利な計らいを受けるための賄賂と認めた。

 課長が現金を求めたのは、「業者への補償金」が理由ではなかった。取り調べに、課長は「車をベンツに買い換えて、消費者金融から200万円を借りた。思った以上に返済が滞り、借金地獄に陥った」と話した。妻に何でも欲しい物を買い与えていたらしい。

 一方、3人は実名が報じられ、社会的信用を失い、中年になってキャリアは危機にある。

 Mは自分の逮捕で幼い娘が心に傷を負い、今後解雇となれば住宅ローンを払えないという。

 Uは「汚ねぇやつ。あり得ない」と見ていた汚職の当事者となり、好きだった営業の仕事には二度と就けそうにない。

 Hは娘が部屋の賃貸契約を断られた。「犯罪者の家族に家は貸せない」のが理由だという。

 6月末、裁判長は3人に懲役1年、執行猶予3年を言い渡した。

 「なぜこんなことをしてしまったのか…」。保身、焦り、功名心-。中年サラリーマンが支払った代償はあまりに大きかった。

(那谷享平)

 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • 28℃
  • 40%

  • 33℃
  • 25℃
  • 50%

  • 34℃
  • 28℃
  • 20%

  • 34℃
  • 27℃
  • 40%

お知らせ