尼崎JR脱線事故から25日で16年になる。大阪教育大学2年生だった長男宏一さん=当時(19)=を亡くした小前恵さん(65)=兵庫県三田市=は今年3月、宏一さんが名付け、愛情を注いだシーズー犬「夢」をみとった。16歳11カ月。その年齢はいつの間にか、宏一さんの生きた年月に近づいていた。(喜田美咲)
穏やかな性格で、大きな病気をすることもなく、手が掛からなかった。しかし昨年8月ごろから夜に鳴き、けいれんを起こすようになった。恵さんは何度も病院へ駆け込んだ。寝ている夢の体が冷えないよう、夜中にホットカーペットの電源を付け直した。「最後にようやくお世話させてくれたね」
夢は事故の約1年前、2004年5月にやってきた。白い毛にくりくりの目。動物好きな宏一さんの念願だった。当時、宏一さんは大学1年生。夢が来た頃は、学園祭の準備で連日友人宅に泊まっていたが、自分で名付けたいと電話してきた。
「『夢』にする。ええやろ~」
忙しくも夢いっぱいの毎日を送っていた宏一さんにぴったりの響きだったな、と恵さんが振り返る。
人が好きで、天真らんまん。誰にでも分け隔て無く接する。その性格は宏一さんにそっくりだった。家にいる時はいつも一緒。帰ると自室に連れて行き、夜は一緒のベッドで寝た。散歩ができるようになると、有馬富士公園(福島)を駆け回った。「かわいらしすぎるかも」と着せていなかったイチゴ柄でふりふりの服も、宏一さんは「似合うから」と着せて歩いた。
宏一さんの携帯電話の動画には、「夢~」と呼びながら戯れる手が写る。その携帯電話は通学中に事故に遭ったあの時も、ズボンのポケットにあった。
□ □
事故後の夢は、宏一さんも乗っていた単車の音が聞こえるたび、玄関へ走って行った。「宏一くん、帰ってこないね」と声を掛けると、恵さんの顔をじーっと見て話を聞いてくれた。部屋の一点を見つめている時は「ここに宏一がいるのかな」と思った。夢のしぐさに息子を重ねた。
でもいつからか、扉を開けると当たり前のように入っていった宏一さんの部屋に向かわなくなった。ここ数年はゆっくり歩き、昼もよく眠るようになった。
16年はあっという間だった。「宏一が35歳なんて、もう想像できない。おじさんになったな~」。宏一さんの誕生日だった3月24日、久しぶりにイチゴいっぱいのホールケーキを買い、長い3本と短い5本のろうそくで祝った。
その2日後、夢は旅立った。「宏一が大切にしていた子」。夢の写真は宏一さんと同じサイズにして、頬を寄せ合うように並べた。
□ □
事故前の年末、宏一さんが家出しようとしたことがあった。恵さんと共有していた車を、スズキのワゴンRに買い換えてほしいと訴えたが、聞き入れられなかった。珍しくわがままを言う息子に、最後は恵さんが根負けした。車が届いた後、宏一さんは夢を愛車に乗せ、ドライブに出掛けた。
恵さんが写真を見ながら話し掛けた。「この世では11カ月しか一緒にいられなかったから、いまごろ宏一がワゴンRで迎えに来て、一緒にいるかな。いるんだろうな」

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