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「震災がなければ今の自分はなかった」と話す上野好宏さん=神戸市東灘区岡本1(撮影・辰巳直之)
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「震災がなければ今の自分はなかった」と話す上野好宏さん=神戸市東灘区岡本1(撮影・辰巳直之)
上野美智子さん
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上野美智子さん
上野數好さん
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上野數好さん

 阪神・淡路大震災で母親が犠牲になった神戸市東灘区のすし店「灘寿司」店主上野好宏さん(47)は今年、父親の數好(かずよし)さん=当時(73)=の三回忌を迎えた。母美智子さん=当時(47)=と生前に交わした約束を果たすため、脱サラして継いだ家業。寡黙な父と二人三脚で店を切り盛りして腕を磨き、古くからの常連客もその味に太鼓判を押す。「震災があったから今の人生がある。父と母が愛した店を守り続けたい」。新装した店で今日も、妥協のない握りを提供する。(金 旻革)

 1995年1月17日、好宏さんは大学4年生で東京都内の下宿先にいた。同区魚崎北町にある実家は激しい揺れで1階が押しつぶされた。その1階で寝ていたのが、美智子さんだった。

 翌18日に遺体安置所で美智子さんの亡きがらと対面。腫れ上がった顔を見ても、現実の出来事と受け入れられなかった。

 地震発生の約3時間半前、好宏さんは美智子さんと電話で話している。連絡は閉店後が家族の習わしだ。

 「正月なのに実家に帰れなくてごめん。来週には帰るよ。脚の具合はどう」「良くなってきたよ。でもお父さんの風邪がうつったらあかんから1階で寝るわ」

 美智子さんは自転車で転んで脚を痛め、1階で寝る生活が続いていた。これが最後のやりとりだった。

 大手の乳製品会社に入社したが、震災後2カ月で店を再開した數好さんのことが気掛かりだった。明るい接客が評判だった美智子さんはもういない。

 「お父さんに何かあったら手伝ってあげて」。美智子さんが口にした言葉を思い返した。小学生の頃は習い事をたくさんさせてくれ、東京の大学への進学も応援してくれた。美智子さんの愛情をいつも感じてきた。

 母との約束。「帰らないと後悔する」。2年後に退職し、地元へ戻った。數好さんは「好きなようにせぇ」とぞんざいだったが、なじみの客から涙を流して喜んでいたことを聞いた。

 數好さんは1974年、裸一貫で灘寿司を開店し、のれんを守ってきた。父と肩を並べるため、好宏さんは仕入れを自分で目利きすることにこだわった。2017年6月、咽頭がんで數好さんはこの世を去った。

 「父と母はきっと『ようやってるな』と見守ってくれていると思う」。震災後に生まれた3人の娘には、美智子さんの名前から1文字ずつ取って名付けた。「みんな元気だから心配しないで」。店の壁には、美智子さんが手書きした値段表がかかる。にぎりずしの価格はできる限り、据え置くつもりだ。

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