国鉄(現JR)山陰線の余部(あまるべ)鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)で、突風にあおられた回送列車が転落して6人が死亡した事故から28日で33年。地元のアマチュア写真家千崎(せんざき)密夫さん(87)は半世紀以上、鉄橋の移り変わりを撮影し続けてきた。いまや観光スポットとなった鉄橋だが、あの日の記憶は片時もぬぐい去れない。(金海隆至)
1986年12月28日、日曜の昼下がり。郵便局員だった千崎さんは、鉄橋の北約100メートルにある自宅にいた。餅つきを終え、うたた寝していると長男が駆け込んできた。「鉄橋から列車が落ちた」。思わず「ばかなことを言うな」と返した。
激しい風雨の中、自宅の窓から見えたのは、鉄橋の上に止まった機関車だけ。後ろにあるはずの客車がなかった。現場へ走ると、数珠つなぎで横倒しになった車両が、知人の民家や水産加工場を押しつぶしていた。
数時間後、救急車や警察車両で騒然とする現場を離れ、鉄橋西側の餘部(あまるべ)駅へ上る山道を歩いた。小高い位置から夢中でシャッターを切ったが、動揺が抑えられない上、噴煙や風雨に視界を遮られ、鮮明な写真は撮れなかった。
帰宅すると、妻が泣き崩れていた。その日、妻が届けた餅を昼に食べて「おいしい」と喜んだ幼なじみの女性が、その直後に働いていた工場で犠牲になった。
1912(明治45)年の完成当時、東洋一とうたわれた赤い鉄橋は長らく地域の誇りだった。「かつては鉄橋を通る列車の音が時計代わりで、住民が昼食や子どもを迎えに行く準備をしていた」。雄姿を後世に伝えようと、千崎さんは50年代から撮影し続けた。
しかし、事故後10年近く、傷ついた人たちを思うとカメラを向けることはできなかった。再び撮影するようになったのは、鉄橋の付け替え構想が浮上したころだった。
2017年11月、余部橋梁(きょうりょう)には展望エレベーターが設置され、年間約37万人が訪れる。千崎さんは「現場が様変わりしても、住民は事故の記憶と共に生きている」と思いをかみ締める。











