東京五輪を間近に控えた1964(昭和39)年夏、東京・銀座のみゆき通りには、個性的な服に身を包んだ若者がたむろしていた。男性はアイビールックと呼ばれる欧米調、女性は後ろにリボンを垂らしたエプロン風の服。「みゆき族」と命名されたファッションは、同年に海外旅行が自由化されたばかりの日本では奇抜に映った。
みゆき族ブームを仕掛けた一人は、兵庫県芦屋市在住の世界的デザイナー、コシノヒロコさん=神戸ファッション美術館名誉館長=だ。幼い頃から洋裁店を営む母の仕事に親しみ、自身もデザインの世界に没頭する。64年に大阪で独立するまで銀座で活躍。普段着は手縫いが当然だった当時、海外ブランドの華やかさを貪欲に吸収した。
五輪前後の日本を、コシノさんはこう表現する。
「高度成長の勢いがあり、海外に憧れた若者のファッションセンスが開花した時代。おしゃれの転換期でしょう」
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ファッションは、同時代の音楽や社会情勢と不可分だ。66年に来日したビートルズの「モッズスタイル」、エレキバンド・グループサウンズの紳士風、ヒッピースタイルにギャル系…。
70年代には神戸・阪神間女性が海外ブランドをエレガントに着こなす「ニュートラ」ブームが生まれ、全国的なトレンドとなった。神戸松蔭女子学院大の徳山孝子教授は「神戸の文化は居留地の英国人たちから刺激を受け、洗練された。そのセンスは脈々と受け継がれている」と強調する。
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憧れから美の追究へ-。2度目の東京五輪が迫る令和の美意識は、世代の垣根を越えて大きく変化した。
出版大手の宝島社は昨年、60代女性向けのファッション月刊誌「素敵なあの人」を創刊した。シニア向けは初の試みだったが、第1号の10万部は早々と完売。担当者は「グレイヘア(自然な白髪)や着やせ、スポーティーなど、シニアならではのトレンドは多彩にある」と説明する。
「競技におしゃれは無用」が常識だったスポーツ界も、女性アスリートの活躍で意識改革が進む。
コシノさんは長年、体操日本代表の公式ユニホームのデザインを手掛ける。昨年新調した女子のウエアは、日本の伝統芸能、歌舞伎の隈(くま)取りをあしらった。「五輪関連のユニホームや服装はその国を代表する“顔”のようなもの」と話す。
日本の美意識を世界に-。コシノさんが五輪に向ける期待は大きい。「日本人は四季の移ろいを感じ取り、自然との共存を大切にしてきた。そんな日本流のセンスを国際感覚で見つめ、発信できるチャンスだ」(久保田麻依子)
【1964(昭和39)年の日本】推計人口は約9700万人で平均寿命は70.3歳。1カ月当たりの世帯収入は約5万8200円で、モノクロテレビ1台が約5万6千円だった。4月に若い男性向けの週刊誌「平凡パンチ」が創刊され、音楽では前年12月に発売された坂本九の「明日があるさ」が大ヒット。9月に名神高速道路の尼崎-西宮が開通し、10月には東海道新幹線が開業した。