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兵庫県の追悼式典で遺族代表として言葉を述べる松本幸子さん=14日午後、兵庫県庁(撮影・秋山亮太)
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兵庫県の追悼式典で遺族代表として言葉を述べる松本幸子さん=14日午後、兵庫県庁(撮影・秋山亮太)

 阪神・淡路大震災から25年となる17日に、兵庫県公館(神戸市中央区)で開かれる追悼式典で、震災で妹を亡くした芦屋市の松本幸子さん(65)が遺族代表として言葉を述べる。14日、県庁で会見し「6434人の犠牲者や、被災者が経験してきたつらい思いを、次の災害の備えに生かしてほしい」と思いを語った。

 松本さんの妹、久村文枝さん=当時(37)=は、神戸市東灘区で自宅アパートの下敷きになって亡くなった。

 「いわゆるキャリアウーマンでした」。芦屋市職員として勤務する傍ら、年に数回は趣味の海外旅行に1人で出掛けた。婚約者もおり、将来の結婚生活を見据えてか、1人暮らしを始めたばかりだった。地震の前日には、姉妹でヨーロッパへ行く計画を話し合った。「行くならイギリスかフランスがいい」。それが最後の会話になった。

 「25年間は本当にしんどかった。生き残った人にも厳しい日々だった」。震災翌年には父が亡くなり、母も認知症を患った後に亡くなった。不況のあおりもあり、夫と同じ職場で働いていた松本さんは被災した会社から「どちらかが退職してほしい」と迫られ、震災10年を前に夫がやめざるを得なかった。住宅ローンの返済や子どもの教育費捻出などに追われる暮らしが続いた。

 転機は東日本大震災。14年に「阪神・淡路の恩返しを」と神戸市の被災地支援グループに入り、福島県で炊き出しや傾聴のボランティア活動を始めた。15年からは「災害で同じように苦しむ人を見たくない」と人と防災未来センター(神戸市中央区)で語り部に参加するようになった。

 当時を語ることは、思い出したくない過去と向き合う作業でもある。それでもセンターを訪れる学生らの真剣なまなざしに触れるうち、「語り継ぎたい」との思いは増していった。抱えていたやりきれなさも、共感してくれる人がいると分かって励みになった。

 「亡くなった人たちのことを話すことは、生かされた者の責任かもしれない」。式典には25年前、文枝さんのひつぎに入れたおそろいのブレスレットを付けて臨むつもりだ。(前川茂之)

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