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両親の名前が刻まれた碑の前で、手を合わせる原田美智子さん=17日午前6時31分、西宮市奥畑(撮影・吉田敦史)
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両親の名前が刻まれた碑の前で、手を合わせる原田美智子さん=17日午前6時31分、西宮市奥畑(撮影・吉田敦史)

 あの寒さを思い出す。あの闇を思い出す。1月17日午前5時46分。阪神・淡路大震災は、6434人の命を奪い去った。犠牲者の一人一人に名前があり、かけがえのない人生があった。あの日から25年。子どもは亡くした親の年齢に追いつく。一緒に泣いた家族もまた、逝ってしまった。歳月は流れず、降り積む。深い祈りが、震災の記憶を伝えていく。

 父と母の年齢に近づいてきた。「もっと生きたかったやろな」。兵庫県西宮市の西宮震災記念碑公園で、原田美智子さん(67)=同市=は両親に語り掛けた。最愛の夫も5年前に失い、今年も夫の白いジャンパーに身を包んで訪れた。暗がりの中、大きくてたわむ袖で夫の分まで手を合わせ、3人に報告した。「今年も元気に参れました」

 あの日。両親が住む同市越水町の実家が全壊。父の木本安治さん=当時(70)=と母の房代さん=当時(69)=を亡くした。自分の家も一部が壊れ、実家の様子は知る由もない。昼ごろ、自転車でやって来た弟が惨状を伝えた。「まさか」。駆け付けると、あるはずの2階が見えない。両親は中にいて、自衛隊員が作業をしていた。2人とも圧死だった。

 公務員だった安治さんと主婦業でそれを支えた房代さん。原田美智子さんら3人きょうだいを愛情を持って育て、孫をドライブに連れて行ってくれた。「京都の天橋立に一緒に行こう」。激震に襲われたのは、そんなことを考えていたころだった。

 「いくら呼び掛けたって返事はないから。もっと親孝行がしたかった」。42歳で両親を突然失い、しばらくは1月17日に公園に来るたびに、悔しさがこみあげた。父の安治さんは「それなりにやったらええねん」と声を掛けてくれ、母の房代さんはよく、ぽんぽんと肩をたたき励ましてくれた。震災からの年月とともに少しずつ前を向けるようになったが、親がいない寂しさは変わらない。

 5年前の夏には、難病で長く闘病生活を送っていた夫の茂さん=当時(65)=も亡くした。夫は、父の安治さんをとても慕っていた。内緒で2人で喫茶店に行くほどで、両親の葬儀では、茂さんの方が号泣した。生前は、茂さんが記念碑公園に行こうと誘ってくれた。やはり、心の支えだった。

 だから-。この日は茂さんが愛用したジャンパーを着て、記念碑公園に向かう。「両親も夫もマイナス思考が嫌いやった。『笑ってたらなんとかなるで』って。私も悲しんでたら前に進めない。これからも頑張るね」。午前5時46分、3人に祈り、誓った。(大盛周平)

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