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臼井真さん=神戸市灘区、市立高羽小学校(撮影・秋山亮太)
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臼井真さん=神戸市灘区、市立高羽小学校(撮影・秋山亮太)
阪神・淡路大震災直後に歌詞とメロディーをメモした紙。被災した自宅の写真などと大切に保管している(撮影・秋山亮太)
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阪神・淡路大震災直後に歌詞とメロディーをメモした紙。被災した自宅の写真などと大切に保管している(撮影・秋山亮太)

 阪神・淡路大震災から25年を迎えた17日、鎮魂と希望の合唱曲「しあわせ運べるように」が被災地に響いた。震災の直後、神戸市立高羽小学校の音楽教諭臼井真さん(59)が復興への願いを込めて作詞・作曲した。その後、歌は神戸から新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震やイラン・バムなど国内外の被災地に広がっている。臼井さんは2021年3月末で教員の定年を迎える。歌い継がれるメロディーと歌詞に今、何を思うのだろう。「ふるさとを思い、自然災害の被災者に心を寄せる歌として、全国の子どもたちに届けたい」。新たな誓いを胸に刻む。(網 麻子)

 ー25年前、「しあわせ運べるように」はわずか10分ほどで生まれたそうですね。

 「まず私自身のことを話すと、あの日は神戸市東灘区の自宅で午前4時半に起き、1階で朝食を終えて2階に上がった瞬間、地鳴りがドドドと聞こえ、縦揺れがありました。巨人に家ごとつかまれ、シェイクされた感じでした。1階は完全に押しつぶされ、もう少しそこにいたら死んでいた。紙一重でした。1階にいた伯母はベッドごと外に押し出され、無事。両親も大丈夫でした」

 「歌は作ろうと思って作ったのではありません。避難所になった勤務先の吾妻小学校と、身を寄せた親類宅を往復する日々が続き、2週間後ぐらいにテレビで三宮の映像を初めて見ました。ビルが倒壊し、友だちと映画を見たり食事を楽しんだりした三宮ではなかった。街が消えてしまった。初めてふるさと、神戸を意識しました。込み上げる思いを、近くにあった紙に走り書きし、カタカナでド、レ、ミと音を付けました」

 ーメロディーが美しく、歌詞がストレートで心に響きます。

 「歌詞で一番思いが深いのは『亡くなった方々のぶんも/毎日を/大切に/生きてゆこう』という部分です。『傷ついた神戸を/もとの姿にもどそう』には、神戸の街は死んでいない、必ず復活するという気持ちを込めました。今思い返すと、この歌には避難所となった体育館で、子どもが歌うというイメージがあったと思います」

 ーあの日から25年。各地の被災地の子どもたちの交流が続いています。

 「昨年12月には熊本と福島の子どもたちが神戸を訪れ、今の勤務先の高羽小の児童と一緒に合唱しました。被災地は思いを共有できると感じています。熊本地震では、テレビ熊本が2年間、繰り返し流してくれました。子どもたちは熊本のために作られたと信じていたぐらいです。私も現地を訪れ、なぜ作ったのかを語ってきました」

 ーずっと歌い継がれてきたことを、どう受け止めてますか。

 「私が生き残ったこと、歌を作ったこと、そしてそれが広がったこと、全てが奇跡です。私の想像を超える力で広がっていきました。歌の持つ力のすごさに、作者としてついていったという感じでしょうか。声が掛かれば、どこへでも行きました。いろんな被災地の方と会い、それぞれの悲しみ、復興への思いを聞いてきた。私自身、歌に支えられてきました」

 ー歌をきっかけに出会った遺族と交流していると聞きました。

 「その一人が、兵庫県西宮市で1歳半の双子の長男を亡くした、たかいちづさんです。2004年に手紙を下さったのがきっかけで、14年に彼女が『この笑顔の向こうに/たくさんの悲しみがあるの』と長男への思いをつづった歌詞に、私が曲を付けて『笑顔の向こうに』を作りました。たかいさんは深い悲しみを抱えている。そして今、東日本大震災で子どもを失った遺族と交流を続けている。遺族の思いはずっとずっと残ります。そういうことを多くの人に知ってもらいたいと思います」

 ー震災を知らない子どもたちに伝えたいことは何ですか。

 「震災から10年を前に、当時勤めていた明親小で歌い継ぐ合唱団を復活させました。現在の高羽小でも5、6年生の希望者を募って合唱団をつくって、朝練習などを重ねている。今年の17日には神戸・三宮の東遊園地で、『しあわせ運べるように』『笑顔の向こうに』などを、心を込めて歌いました」

 「子どもたちは体験していなくても、想像はできます。合唱団では、私の体験を伝えている。たかいさんを招き、遺族の思いを語ってもらうこともあります。生きたくても生きられなかった人の命を忘れないで、自分の命を大切にして、清らかな心で歌って。そう伝えています」

 ー大人になった子どもたちは、歌とどう向き合っているのでしょう。

 「震災当時、小学3年だった教え子に、20年後に再会しました。彼は受験やつらいことがあったとき、『亡くなった方々のぶんも-』という歌詞を励みに頑張ったと話してくれた。最初に歌ったことを自慢に思ってくれている教え子もいます」

 ーこの春、6年生の音楽の教科書に「しあわせ運べるように」に関するコラムが掲載されます。

 「今、というのがすごいなと。これまでも中学校の英語の教科書で取り上げられています。25年間、歌は生き続けてきた。あらためてその力を感じています。ただ、災害の被災地では広がったけれど、それ以外にまだ届いていない。大阪でもあまり知られていないと聞きます」

 「定年退職後は震災を風化させないために、なぜ作ったのか、遺族の悲しみがどれだけ深いのかを語り、命の大切さを伝える活動をしていきたい。全国の子どもたちにふるさとを思い、自然災害の被災者に心を寄せ、歌い継いでほしい。夢と未来、希望を届けられる歌として広げていきたいと思います」

【うすい・まこと】1960年神戸市東灘区生まれ。同市立高羽小学校主幹教諭。阪神・淡路大震災の当時は吾妻小の音楽専科教諭。これまでに小学生のため、400曲以上を作詞・作曲してきた。

■記者のひとこと

 「しあわせ運べるように」を歌う小学生のみなさんへ-。歌声を聞くと、震災からの出来事を思い出し、胸がいっぱいになります。でも、心が癒やされ、励まされる不思議な歌です。これから大人になっても、きっと力になると思います。

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