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無声映画の上映会で活弁を務める玉岡忠大さん=2012年8月、三木市内
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無声映画の上映会で活弁を務める玉岡忠大さん=2012年8月、三木市内
玉岡忠大さんのフィルムコレクション(玉岡かおるさん提供)
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玉岡忠大さんのフィルムコレクション(玉岡かおるさん提供)

 無声映画にせりふを合わせる活動写真弁士(活弁)を長年務め、2016年10月に97歳で亡くなった玉岡忠大(ちゅうだい)さんの約450巻に及ぶ映画フィルムコレクションが30日、神戸映画資料館(神戸市長田区)に寄贈される。生前、集めたフィルムを地元の兵庫県三木市や神戸市などで上映し、自ら活弁を務めて映画の魅力を伝えた。映画への深い愛情と貴重なフィルムが後世に受け継がれる。(片岡達美)

 活弁は、まだ音声が付いていなかった映画の上映中、舞台袖で登場人物のせりふをしゃべり、筋を説明する。三木市出身の忠大さんは、旧制小野中学(現小野高校)時代から神戸・新開地の映画館に通い詰めた。

 忠大さんのコレクションは戦時中、「敵性文化」として上映禁止になった洋画を街の映画館から買い取ったのが始まり。16ミリフィルムのほか、家庭用に販売された9・5ミリのプリントなど主に1920年代の“洋もの”を中心に集めた。

 中には、日本人初の国際的俳優・早川雪洲が出演した1915年の「チート」など日本未公開の作品も。せりふを自ら翻訳し、90歳を過ぎても上映会を開き続けた。忠大さんの次女で作家の玉岡かおるさんは「自宅で眠る大量のフィルムは全て父のお気に入り。丸ごと引き受けてくれるなら」と寄贈を決めた経緯を語る。

 昨年12月公開の映画「カツベン!」のプロデューサー吉野圭一さんは12年8月、忠大さんに取材した。三木市の上映会を訪ねると、商店街にスクリーンを張り、チャプリンの「街の灯」を忠大さんの活弁で上映していた。「子どもたちも大喜びで、とてものどかな野外上映会。ノスタルジックで幻想的な時間だった」

 活弁をどう映画化するか模索していた吉野さんは「最高齢で活躍されていた玉岡忠大さんの映画への愛情があふれ、これこそが映画のエッセンスになると確信した」と振り返る。完成した映画を見たかおるさんは「主人公の口ぶりにどこか父の調子が感じ取れ、感慨深かった」。エンドロールに忠大さんの名もあり「胸が熱くなった」と話す。

 同資料館館長の安井喜雄さんは、忠大さんが開いた無声映画上映会に足を運んだことがあり、「自ら翻訳した台本で観客の笑いを引き出すユニークな活弁だった」と懐かしむ。「映画収集に懸けた努力に敬意を払うとともに、フィルムを死蔵させることなく、上映会を開いて業績をたたえたい」と話している。

 

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