一昨年の「アンナチュラル」、昨年は「監察医 朝顔」「サイン」。このところ法医学をテーマにしたテレビドラマが人気を集めている。死体を見るのは、怖い。「死」からはできれば目をそらしたいし、ましてや自分が死んで解剖されるなんて考えたくもない。でも、その世界をのぞいてみたい気もする。兵庫医科大学法医学講座主任教授の西尾元さん(57)は、阪神間6市1町の法医解剖を担当し、年間約300体の遺体と向き合う。どんな気持ちで解剖しているのだろう。そう思いながら話を聞いていると、話題は解剖室から見える現代日本の問題へと膨らんでいった。(武藤邦生)
ー法医学を扱ったドラマでは、解剖により死因が特定されることで、事件が大きく動いていきます。
「法医学の対象となるのは『異状死体』と呼ばれる、病死と判断できない遺体です。もちろん捜査の一環として、事件事故の犠牲者を解剖することもありますが、非常に少ない。兵庫医科大学で行う年間300件近い解剖のうち、犯罪が疑われる司法解剖は約2割。明らかな犯罪死体は、せいぜい10件ほどです」
「大半は『恐らく犯罪とは関係ない。けれど死因が分からない』という遺体です。1人暮らしで亡くなり、見つかるまでに時間がかかったようなケースです。独居の高齢者が増えるにつれ、死因の分からない遺体が増加しています」
ードラマはともかく、現実の法医学の現場で何が行われているか、知る機会はなかなかありません。
「私たちが行う解剖は、すべて警察からの依頼に基づきます。求められるのは、客観的な死因の特定です。まず体の外側から、頭や胸、おなかなどに傷がないか確認します。その後、頭蓋腔(ずがいくう)、胸腔(きょうくう)、腹腔(ふくくう)などをメスで開き、臓器に異常がないか観察します。薬毒物が疑われる場合は、血液検査も必要となります」
「自殺で亡くなったのか、それとも無理心中だったのか、そうした背景は、死因とは直接、関係がありません。個々の事情には、なるべく踏み込まないようにしています。集中して、黙々と解剖する。あまり踏み込むと、つらくなりますし」
ードラマではしばしば、法医学を見下すような言葉も飛び出しますね。「死者の医学」みたいに。
「確かに、ほとんどは死因を特定して仕事は終わりです。けれども、事例は少ないものの、生きている人に役立つ情報が得られることもある。例えば、若い人の突然死。多くの場合、解剖をしても、肉眼による観察では死因は特定できない。ところが近年、致死的な不整脈を起こす遺伝子の異常が分かってきました。そしてそれは、一定の確率で遺伝する。もし遺体の遺伝子に異常が見つかれば、遺族の発症予防にも役立てられるでしょう。可能性が考えられる場合は、遺族の承諾と倫理面の手続きを経た上で、遺体の遺伝子検査にも取り組んでいます」
ーここ数年、相次いで著書を出版されています。一般向けの本を書く法医学者は少ないですよね。
「およそ3千体の解剖に携わり、あらゆる死に方を見てきました。先ほど個々の事情には踏み込まないと話しましたが、少し余裕ができてきたのでしょうか、事情が頭に残るようになってきました。すると、次第に人の死に方には、現代日本社会の問題点が根深く関わっていることに気づきました。もちろん、事例をそのまま公表することはできませんし、法医学があまり注目を集めるのも望ましいこととは思いません。ですが少しは知ってもらったほうがいいと思うようになりました」
ー解剖から見える、社会の問題点ですか。気になります。
「兵庫医科大のデータによると、解剖台に運ばれてくる人のうち、約3割に精神科の既往歴がありました。認知症の人は6%を超え、生活保護を受けている人が2割に及びます。なぜこれほど割合が高いのか。解剖されやすい死に方をしている、としか言いようがありません。つまり病院で亡くなったり、自宅で家族にみとられて亡くなったりしていない。家でひっそりと死んで、長い間、見つからなかったり、家庭内の犯罪で命を落としたりすることが多いのです」
「解剖が行われるのは、社会が抱える問題の中でも、特に厳しい事態に至ったケースです。例えば、こんな事例がありました。自宅の風呂場で死亡した高齢男性です。この男性の妻は認知症で、夫が亡くなったことを理解できず、一緒に入浴を続けていました。幸い、そこを発見されましたが、遅れていたら妻も危なかったでしょう」
ー精神疾患や認知症、生活保護。共通することがあるのですか。
「社会からの孤立でしょう。こうした人々は社会との関係を保てないことが多い。また、精神疾患や認知症の家族を抱えると、その家族自体が、周囲とのつながりを断つことも少なくありません」
「もう一つ指摘しておくと、解剖されるのは男性が圧倒的に多く、全体の7割を占めます。男性と女性の生き方の違いが、数字に表れていると言わざるを得ません。男性は仕事中心で、定年後に単身になると、社会とのつながりを失いがちです。孤立しやすい。アルコールに浸ることも、よく見られます。これに対して女性は夫を亡くし、1人暮らしになっても、友人と食事や買い物を楽しむ人が多い。私が一般向けの講演会で話すときも、参加者の多くは女性です。『死』をテーマにした講演でも、笑いながら聞いています。解剖されにくい生き方を心得ていると言えます」
ー男性の一人として、将来が怖くなります。
「死に方を選ぶのは、なかなか難しいことです。私は孤独死が悪いとは思いません。1人暮らしは孤独死のリスクが高まりますが、気ままに生きたいと思うなら、それは個人の自由です。ですが、望まずに独居になることもあるし、誰にも知られず亡くなって放置されるのは嫌だ、と考える人も多いでしょう。法医学の事例は、解剖されない死に方のヒントを与えてくれるはずです」
【にしお・はじめ】1962年、大阪府出身。香川医科大(現・香川大医学部)卒、同大学院修了。米国留学、大阪医科大法医学教室を経て、2009年より現職。神戸市東灘区在住。
■記者のひとこと
「○○署は死因を調べている」。何度も記事に書いてきたが、死因を調べる人に会うのも、死因を調べる部屋に入るのも初めてだった。解剖室は想像よりもずっとキレイで、法医学者の、死者に対する向き合い方を表しているように思えた。