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 有本嘉代子さんが3日、亡くなりました。北朝鮮に拉致された三女恵子さんの帰国を信じ、活動に取り組みましたが、再会は果たせませんでした。有本恵子さんの拉致問題を取材した2002年の神戸新聞の記事を再掲します。

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 「KIKOKU OKURERU」

 ローマ字打ちの電報が神戸市長田区にある有本恵子さんの実家に届いたのは一九八三年八月九日、帰国予定の当日のことだ。文面は「仕事が見つかる。帰国遅れる。恵子」だけだった。

 有本さんは当時二十三歳。神戸市外大を卒業した八二年春以来の英国での語学留学を終え、帰国する予定だった。有本さんの両親、明弘さん(73)、嘉代子さん(76)は突然の電報に困惑した。

 数日後、両親に有本さんから手紙が届く。冒頭に「先に帰国延期の電報が届き心配しているのでは」と書き、「貿易関係の仕事」をアルバイトで二・三カ月手伝うとの内容。「皆さん信頼の置ける人ばかりなので御安心下さい」ともあった。

 電報も手紙も発信地はギリシャだった。不可解なのは発信日だ。電報は八月七日。手紙の日付は同三日。つまり有本さんは電報を送る四日前に、電報発信を前提にした手紙を書いたことになる。

   ■   ■

 有本さんは帰国延期を八月に決めたわけではなかった。幼なじみには六月十三日付の手紙で「今、突然と仕事が入って来たのです」と、欧州での市場調査を引き受けるため、帰国便をキャンセルする決意を伝えていた。

 その手紙は便せん三枚。「今すごくうれしい気分」「人生の第一歩を踏み出したといった感じ」と、弾む気持ちがつづられた。海外で暮らすことは、両親に反対されていたが、有本さんの夢だった。

 有本さんは六月末と七月に両親に送った手紙で、心配をかけたくなかったのか、仕事の件には触れなかった。ましてや、だれに仕事を誘われたのか、残された手紙に名前は出てこない。

 しかし今年三月、よど号犯の元妻(46)が自らの拉致工作を法廷で証言した。元妻はロンドンの語学学校で知り合った有本さんを朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員に引き合わせ、仕事の一環としての北朝鮮行きを勧めたという。元妻は「私も後で行くから、と励ました」と告白した。

 電報の発信日の謎はこうとも読める。電報は有本さん本人が打たなかった。拉致グループが捜査開始を遅らせるため、「電報を送っておいたよ」と有本さんをだまし、帰国延期を寸前まで家族に隠したのではないか、と。

(2002年4月26日 神戸新聞)

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