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北朝鮮人権侵害問題啓発週間で始まったパネル展を見学する有本恵子さんの両親=2014年12月10日、兵庫県警本部別館
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北朝鮮人権侵害問題啓発週間で始まったパネル展を見学する有本恵子さんの両親=2014年12月10日、兵庫県警本部別館

 有本嘉代子さんが3日、亡くなりました。北朝鮮に拉致された三女恵子さんの帰国を信じ、活動に取り組みましたが、再会は果たせませんでした。有本恵子さんの拉致問題を取材した2002年の神戸新聞の記事を再掲します。

   ◇   ◇

 今月二十三日、有本恵子さんの両親、明弘さん(73)と嘉代子さん(76)は北海道にいた。一九八〇年、欧州で失跡した札幌市出身の男性=当時(22)=の兄(47)と久しぶりに再会する日だった。

 男性は有本さんと一緒に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致されている可能性があるという。兄は弟の安全を考えて、これまで表向きの運動を控えてきた。明弘さんらは、名前を公開した上で救援活動に加わるよう勧めたが、「考えは変わらない」。それが兄の返事だった。

   ◇   ◇

 有本さんと札幌出身の男性、それぞれの実家の出会いは八八年九月にさかのぼる。

 娘の失跡を警察に届けても手掛かりはなく、明弘さんらは途方に暮れていた。そこに札幌の見ず知らずの人から電話がかかった。

 「行方不明の息子の手紙がポーランド経由で届いた」

 細かく畳んだ跡のある便せんには、有本さんだけでなく、熊本市出身の男性と共に平壌にいると書かれていた。生活苦を訴えつつ「最低、我々の生存の無事を伝えたく」第三者に手紙を託すとも記されていた。

 明弘さんは安どした。「やっと居場所が分かった。これで娘は帰れる」

 両家族は北朝鮮とつながりの深い社会党(当時)や自民党の有力代議士を頼り、救出を要請した。しかし相手にされなかった。自民、社会党と北朝鮮の朝鮮労働党は九〇年、共同宣言を発表した。拉致問題はない、との扱いだった。希望は怒りに変わっていった。

 翌年、記者会見を設定しながら、直前に北朝鮮につながりのある人物に「公表しない方が解放につながる」と説得され、結局、記者の質問に口をつぐんだこともある。

 期待は裏切られ続け、常に国交回復が優先された。このまま拉致問題がなかったことにされないか。公表し北朝鮮を刺激することで、危険が及ばないか…。迷いながらも、明弘さんと嘉代子さんは決意した。九四年、実名を世間に明かし、救出活動に一歩踏み出した。失跡から十一年後だった。

   ◇   ◇

 明弘さんと嘉代子さんは今年三月、よど号犯の元妻(46)と初めて会った。元妻は泣いて謝った。娘の人生を台無しにした当人に、明弘さんは「よく証言する気になってくれた。感謝します」と声をかけた。政府も政治家も頼りにならず、孤独な闘いを続けてきた明弘さんは、そう言わずにおれなかったという。

 元妻は北朝鮮に二人の娘を残している。語ることが、どういう影響を及ぼすのか。その不安を両親は痛いほど分かっていた。

(2002年4月27日 神戸新聞)

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