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 誰もが顔を真っ赤にし、会見場は怒りと号泣の声に覆われていた。2002年9月17日、東京・国会衆院第1議員会館(当時)。同じ拉致被害者家族の横田早紀江さん(84)に脇を支えられた有本嘉代子さんの目からは、こらえきれない涙があふれる。あまりにも残酷な「娘の死」の宣告。その後17年間、「それでも生きて帰ってきてくれる」と信じ続けた嘉代子さんが3日、94歳で亡くなった。取材に関わった記者が、嘉代子さんの闘いを振り返った。(畑野士朗、宮本万里子、段 貴則)

 史上初の日朝首脳会談が開かれた日だった。午後5時すぎ、呼び寄せられた外務省飯倉公館で、北朝鮮からの安否情報を告げられた家族たち。会見場へのバスに乗り込む際、ちらっと見えた嘉代子さんはうつむいて小さく見えた。

 その日の昼には、娘の恵子さんの生存情報が流れていた。気持ちを聞くと「正直うれしい」と、表情が緩んだ。しかし直後、首を振りながら打ち消すように付け加える。「全員が帰ってきてくれないと。せっかくみんなでここまで頑張ってきたから。帰れない人がいたら喜べない」。娘の帰還を祈りつつ、横田さんとともに家族会を結成した責任感がにじんでいた。

 大阪まで戻った翌日夜、宿舎を訪ねた。嘉代子さんは「(娘が)ふびんです」とつぶやいたあと、気丈に話し始めた。「北朝鮮には責任をとってもらいたい」。優しいまなざしの奥にある、嘉代子さんの強さに胸を打たれた。

 その後何度も神戸市長田区の自宅を訪ねた。夫の明弘さん(91)と並び、少し早口で歯切れよく話す嘉代子さん。恵子さんが23歳で失踪して30年ほど経過した7、8年前、こう漏らした。「恵子も50歳を超えた。どんな姿なのか、もう親でも想像できなくて」。娘に会えないまま過ぎた月日の長さ。同じ頃から「歩くのが大変」と上京を控えるようにもなった。

 恵子さんの誕生日である1月12日には、明弘さんとともに主役不在の誕生日を祝った。印象的だったのは、恵子さんが56歳となった2016年。赤飯などの料理はすべて恵子さんの姉妹が作った。それまで嘉代子さんも手伝っていたが、不整脈が悪化し、医師から手術を勧められていた。

 当時90歳。取材が始まると「恵子を抱きしめるまで、何とか元気でいさせてほしい、そう祈るだけです」。強い口調は自身に言い聞かせるようだった。

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