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コレラ感染者用のベッドや防護服などが並ぶ歴史資料室について説明する、内田幸憲・元神戸検疫所長=神戸市兵庫区遠矢浜町、神戸検疫所
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コレラ感染者用のベッドや防護服などが並ぶ歴史資料室について説明する、内田幸憲・元神戸検疫所長=神戸市兵庫区遠矢浜町、神戸検疫所
ネズミ駆除のため、船内に青酸ガスをまいた際に使った防毒マスク=神戸市兵庫区遠矢浜町、神戸検疫所
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ネズミ駆除のため、船内に青酸ガスをまいた際に使った防毒マスク=神戸市兵庫区遠矢浜町、神戸検疫所
塚原東吾教授
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塚原東吾教授
神戸新聞NEXT
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 新型コロナウイルスの世界的拡大で、感染症の国内侵入を阻止する検疫業務が、近年にない注目を集めている。厚生労働省神戸検疫所(神戸市兵庫区遠矢浜町)の一角にある歴史資料室には、コレラ患者用ベッドや医療従事者用の防護服などが展示されており、開港以降、数々の感染症の脅威にさらされた神戸の歴史を伝えている。

 同検疫所は、日本初の検疫施設の一つとして1878(明治11)年、現在の神戸市兵庫区に開設された「和田岬消毒所」をルーツとする。1963年、同区の近隣地から移転し、輸入食品の検査業務などを担う。歴史資料室は、感染症の潜伏期であることが疑われた入国者が過ごした「停留棟」跡の一角にあり、2000年ごろ開設された。

 展示品は、明治期以降、検疫の現場で使われた器具など100点余りと明治期の医学書など。このうちコレラ患者用ベッドは、患者が横になったまま排せつできるよう、中央部に穴が開いている。ペスト菌を媒介するネズミを駆除するため青酸ガスを使った際に使用した防毒マスク、検疫所の船に用いられた旗の複製なども並ぶ。

 ほかにも野鳥の絵が描かれた観賞用のつぼもあり、停留棟での滞在を余儀なくされた外国人に、日本の印象を少しでも良くしようとした心遣いを感じさせる。

 1997~2011年、同検疫所の所長を務め、資料室の開設にも携わった医師、内田幸憲さん(72)=同市中央区=は「海外との行き来が船中心だった時代、感染症拡大を水際で阻止できることが多かった」と話す。

 国境を越える手段の主役が航空機に移り、感染者が潜伏期に日本へ入る可能性が格段に増えた現代。内田さんは「新たな感染症が次々と発生してきた歴史は、今後も繰り返される」とし、「検疫所をはじめとする行政機関は、感染拡大を水際で食い止めるという本来の目的に立ち返り、汚染国からの入国者情報を共有するといった対策を講じるべきだ」と提言する。

 同資料室は例年9~10月ごろに1日のみ、一般公開される。同検疫所TEL078・672・9651

(井原尚基)

■コレラ、ペスト、スペイン風邪… 神戸港開港で流入

 神戸は1868年の開港以来、コレラやペスト、スペイン風邪など、世界を脅かした感染症の国内への「入り口」となってきた。

 神戸検疫所や「神戸伝染病史」(1925年刊)などによると、神戸では和田岬消毒所が開設される前年の1877(明治10)年、入港船に多数のコレラ患者が発生し、300人以上が感染する出来事があった。86年には2230人がコレラを発症して1909人が死亡するなど、明治、大正期を中心に、さまざまな感染症で多くの人が命を落としたという(表参照)。

 日本が近代化する中、神戸港と周囲に仕事を求め、国内外から多くの労働者が集まった。当時の感染拡大の要因は、汚染された水を飲まざるを得ないといった貧困層の劣悪な生活環境によるところが大きい。

 関西学院大学の総合政策学部長を務め、2003年に亡くなった安保(あんぼ)則夫さんの著書「ミナト神戸 コレラ・ペスト・スラム」(1989年)は、1899年、日本初のペスト患者が神戸で見つかった際の様子を「全市民があたかもペスト・ノイローゼにとりつかれたかのような状態に陥った」と表現。当局が家屋44戸を買い上げ、焼き払ったことなどを記している。

 近年でも新型インフルエンザ(2009年)の国内初感染者が確認された神戸。感染症の歴史に詳しい塚原東吾・神戸大大学院教授(科学史)は「行政には、診療や検査を受けるためのハードルが高い外国人など、立場が弱い人へのケアを重要視してほしい」と訴えた。

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