「あきらめたくないです」。しなやかな文字が躍る。2005年に起きた尼崎JR脱線事故で一時意識不明の重体になり、リハビリに励んできた鈴木順子さん(45)=兵庫県西宮市=が、事故から15年を経た今の心境を筆でしたためた。事故から11カ月後、自由に動かない手で初めて書いた文字は「ありがとう」だった。比べれば違いは一目瞭然。今の文字の一つ一つが、長い努力の日々を物語る。今、ちぎり絵などに取り組む順子さんは、笑顔で「自分の世界を表現したい」と語る。
今月上旬、神戸新聞の取材に「体が不自由になったけれど、あきらめたくなかった。負けたくなかった。表現したいし、個性を出したい」と、事故から15年の思いを話した順子さん。「その気持ちを表現しませんか?」という記者の提案に、順子さんは筆を握り、「あきらめたくないです」とつづった。
高校時代は書道部で活動。武庫川女子大短期大学部の生活造形学科でデザインを学んだ。派遣社員を経て2005年4月25日、大阪でのパソコン講座に参加するため、快速電車の2両目に乗り、事故に遭った。
約5時間後に救出されたが、脳挫傷と脾臓損傷、出血性ショックなどで意識不明が続いた。搬送当時は「99%助からない」とされたが、およそ1カ月後に目を覚まし、その約4カ月後に言葉を発した。
事故から約11カ月後に退院。この頃、「ありがとう」と書いた。その後、歩行訓練、日常生活の動作や言語のリハビリ、水泳、陶芸などに取り組んできた。
今、食事やトイレは1人でできる。歩くのは支えが必要で、屋内は車いすで移動する。頭を強く打った影響で、記憶力の低下などの「高次脳機能障害」と診断されたが、最近は改善がみられるという。
西宮市内にある障害者支援施設のデイサービスやショートステイを利用しつつ、約2年前からは、自宅を訪問する作業療法士とちぎり絵を通じたリハビリに取り組んできた。
葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 凱風快晴」の制作では、竹串とピンセット、小さい紙とのりを手に細かい作業に集中する。縦約30センチ、横約40センチの作品は間もなく完成予定だ。年賀状用に筆で字やえとを描くのも、毎年の恒例になった。
順子さんの回復を見守ってきた母、もも子さん(72)は「事故後はリハビリばっかり。しんどかったけれど、長いことかかったけれど、こんな日がきた」とほほ笑む。順子さんは「誰かを責めるとかではなく、自分がやりたいと思うことを曲げたくない」と前を見据えている。(中島摩子)
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