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公益社団法人「好善社」社員 の長尾文雄さん=尼崎市内
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公益社団法人「好善社」社員 の長尾文雄さん=尼崎市内
「覚えて祈る 長島と私の六〇年」(編集工房ノア)
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「覚えて祈る 長島と私の六〇年」(編集工房ノア)

 私たちの社会はハンセン病対策の過ちと教訓を生かしていないのではないか-。新型コロナウイルスの感染が広がる中、「さまざまな人権侵害が起きている」(ハンセン病市民学会の内田博文共同代表)として、警鐘を鳴らす人たちがいる。元関西学院の職員だった長尾文雄さん(80)もその一人だ。学生の頃から60年にわたり、国立ハンセン病療養所に入所した患者たちと交流し、自分に何ができるかを問い続けてきた。激しい差別と偏見によって患者や回復した人、さらに家族を苦しめた過ちから、私たちは何を学ぶべきなのだろうか。長尾さんと語り合った。(段 貴則)

     ◇     ◇

■ハンセン病の療養所に通うようになったきっかけは、何だったのですか。

 「関西学院大OBの播磨醇(じゅん)牧師から聞いた話がきっかけになりました。瀬戸内の長島(岡山県)の国立療養所・邑久(おく)光明園に教会堂を建てるため、入所者たちが自ら不自由な手足で岩山を砕いて整地した、という話です。1960年、私たち学生有志にも何か手伝えることはないか、と療養所に滞在して労働に従事する初の『ワークキャンプ』に参加しました。当時、療養所内の道はぬかるんだ場所が多く、足が不自由な入所者にとっては歩きにくいので、海岸で集めた砂利を道路に敷き、教会堂の花壇を整備しました」

     ◇     ◇

■入所者との交流で印象深い思い出があれば、教えてください。

 「最初のワークキャンプで砂利を運ぶ仕事を終えた後、播磨牧師に連れられて高齢の女性入所者のベッドのそばに行きました。女性の顔には、ハンセン病の後遺症が出ていました。目から入る情報はインパクトが大きく、どうしても驚きや戸惑い、恐れなどの反応が起こる。その壁を越えて対等の人間として向き合えるか、そういう問いを突きつけられた気がしました」

 「入所者と交流をしていると、自分の部屋でお茶を入れてお菓子を出してくれる。お菓子はほとんどが紙に包んだもので、お茶は湯飲みで出てきます。ワークキャンプに参加する学生たちは、最初は必ずちゅうちょする。入所者はそうした私たちの反応を感じ取ります。でも責めたりせず、『大丈夫』といって勧めてくれる。誰もがそういう経験をしながら、交流を深めていきました」

     ◇     ◇

■以来、60年間、長島に通い続けてきたのですね。

 「こんなこともありました。ワークキャンプを重ねて3年目に入った頃、入所者から『涙に騙(だま)されても汗に欺(あざむ)かれた験(ため)しはない』としたためた色紙を渡されました。当時、療養所を訪問する人の目的は、たいていが慰問でした。入所者から見れば哀れみと同情の対象として、上から目線で自分たちを見て、涙を流して帰って行く人たちだったのです。そうした訪問者の態度に、入所者はずっと耐えてきた。私たちの活動についても同じだろう、涙には騙されないぞ、と冷ややかにみていたようです。でも、何か通じたのでしょうか。色紙の言葉を通して、私たちが流した汗を受け入れてくれたんだ、と思えてうれしかったですね」

     ◇     ◇

■2001年、ハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決は、長年の隔離政策について「1960年には違憲性が明白だった」としています。

 「60年のワークキャンプでは、ハンセン病はうつりにくいし、治る病気だと説明されました。しかし、官舎と入所者の区域は分けられ、看護師が防護服を着たような姿だったのを覚えています。私自身のことを言えば、交流を始めて20年ほどの間、キリスト教の信仰を通じて入所者と交流をするという意識が強かった。隔離政策の違憲性には目を向けていませんでした」

     ◇     ◇

■元患者の家族への国家賠償を命じた19年の集団訴訟では、熊本地裁は「国は隔離政策などにより、患者の家族が偏見差別を受ける社会構造を形成」したと述べています。どのように受け止めましたか。

 「被害を招いた社会構造の形成は、政府だけに責任があるのではない。市民全体が無自覚的に従い、全国で官民を挙げて患者を捜し出し、隔離した『無らい県運動』の結果でもあります。あの運動の恐ろしさは、近所の人、あるいは親しい人が患者本人のため、患者の家族のためになると信じ切って密告したことです。教員も先頭に立って進めました。背景に優生思想があり、現在の障害者問題の原点になっている。もう一度、無らい県運動の実態を掘り起こし、記録しなければなりません」

     ◇     ◇

■今年に入り、新型コロナの感染が広がる社会で起きた「自粛警察」の動きは、過去の「無らい県運動」と似ているという指摘があります。

 「ハンセン病に対して、国家は長年、プロパガンダ(宣伝)をしてきた。怖い病気、うつる病気、撲滅しないと近代国家になれない-。明治以降、国の大命題でした。今、新型コロナを語るときの論理と重なって映ります。官民を問わず『コロナウイルスとの闘い、戦争だ』と強調される。そういう号令や空気みたいなものに対して、日本人は従順です。『大本営発表』が正しくて、それを守るのが正義だと感じる人は多い。未知のものに対して抱く恐怖感が自警団につながり、今の自粛警察という言葉で表現される現象につながっているんだと思います」

     ◇     ◇

■ハンセン病対策を巡る過ちを、私たちは現代にどう生かすべきなのでしょう。

 「新型コロナの感染防止対策でいえば、科学的なデータ、事実を共有することだと思います。正確なデータもあるし、間違っているデータもあります。また、うまくいった対策もあれば、失敗に終わった対策もあります。それらを検証し、すべて記録として残すことが大事です。そして、次に何かが起こったときに過去の記録をひもといて参考にする。社会として、そういう癖をつけないとだめなんじゃないでしょうか」

     ◇     ◇

【ながお・ふみお】1940年尼崎市生まれ。関西学院大卒。関西学院に勤めながら、ハンセン病患者を支援する公益社団法人「好善社」社員として活動。著書に「覚えて祈る 長島と私の六〇年」(編集工房ノア)など。

【好善社】本部・東京。1877年、宣教師と教え子による団体として発足し、ハンセン病患者への医療などに従事する。戦後は、各地の国立ハンセン病療養所で教会堂の建設を進める。主な活動として、学生や社会人が参加する療養所でのワークキャンプ(労働や交流)に取り組んだ。

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