中心市街地はまだ、汚泥にまみれていた。歩道などに山積みにされた家財道具の数々。記録的な豪雨によって球磨(くま)川が氾濫した熊本県人吉市は、浸水の爪痕が深く刻まれていた。被災者は「もっと助けがほしい」と嘆く一方、新型コロナウイルス感染の懸念からSOSを発信しにくい思いも抱える。複雑な心境が交錯する被災地を取材した。(金 旻革)
ボランティアのニーズなどの調査を目的に被災地入りした「ひょうごボランタリープラザ」(神戸市中央区)のスタッフに同行した。15日、神戸から新幹線とレンタカーに乗り継いで約4時間。九州自動車道の人吉インターチェンジから約1キロ南に下りていくと風景が一変した。
JR肥薩線の線路をまたいだ先から道路が茶色に染まり、民家や店舗の窓ガラスは割れていた。球磨川に近づくにつれ、街はさらに色彩を失っていく。旅館の駐車場は泥が堆積したまま。建物にへばりつくように積み上がった流木が、浸水の猛威を物語っていた。
鼻を突くヘドロのにおい。9年前の東日本大震災、2年前の西日本豪雨の被災地の記憶がよみがえった。
九州山地に囲まれた盆地の人吉市の中心部を貫流する球磨川。急流を船で下る「球磨川下り」やラフティングは重要な観光資源の一つだ。だが今回、街に恵みを持たらす川が牙をむいた。
「2階まで水が来て屋根の上に逃げたんだ」。流域に暮らす男性(74)は、木材などのごみであふれかえった自宅前で語った。浸水で周辺の民家3棟が押し寄せた。「温室の果樹園はもう再起不能。早く自宅に帰れたらいいんだけど、家族と知り合いだけで片付けているから時間がかかるね」。避難所の生活が終わる見通しは立たない。
◇
熊本県南部などを襲った豪雨の特徴はコロナ禍に起きた初の大規模災害という点だ。熊本県はボランティアの受け付けを県内在住者に限定し、被災地の災害ボランティアセンター(VC)はその意向を踏襲した。
自宅が浸水した60代男性は不安を吐露する。「来てほしいのはやまやまだが、隣県の鹿児島でも(コロナ感染が)出ている。自衛隊や地元の土木業者も手伝ってくれているから」
ただ、被災者の思いもさまざまだ。「ボランティアを頼んでも誰も来てくれないから困っとったの」と話すのは、書道具店1階が浸水した男性(87)。力仕事の泥出しができず、人を雇ってしのいだ。「人吉は山に囲まれていて交通が不便だから、人が来んとですよ」と、もどかしさをにじませた。
被災者も、VCを運営する社会福祉協議会も人手不足を肌で感じているが、コロナを警戒する地域心情の中で、身動きが取れないのが現状だ。
◇
県外ボランティアが見込めない中、要となったのは地域の支え合いだった。
人吉市では住民らが民間のVCを開設。被災者に日用品などの物資を配布し、被災者に炊き出しを毎日振る舞う。中心的役割を担う女性(65)も被災者の一人だが、「被災者でもできる支援をしないといけない」と話した。
被災地を歩く中で、共助の大切さを実感しつつ、マンパワーの明らかな不足に、コロナ禍でも広く人を募る仕組みづくりができないものかと考えた。消毒や検温など感染対策の基本を徹底し、被災者が安心して受け入れられるよう、国や自治体は知恵を絞るべきだ。
人を支えられるのは人だけ-。阪神・淡路大震災の被災者支援を四半世紀続けた男性が大事にした言葉を、被災地でかみしめた。