総合 総合 sougou

  • 印刷
亡き叔父への思いを語る植田芳光さん=姫路市西駅前町
拡大
亡き叔父への思いを語る植田芳光さん=姫路市西駅前町
旧制長崎医科大の学生だった植田泰輔さん(芳光さん提供)
拡大
旧制長崎医科大の学生だった植田泰輔さん(芳光さん提供)
旧友と遊んだ日々を懐かしむ河野通一さん=姫路市白浜町
拡大
旧友と遊んだ日々を懐かしむ河野通一さん=姫路市白浜町

 75年前の8月9日、長崎市への原爆投下で約7万4千人の命が失われた。その中の一人に、兵庫県姫路市出身の20歳の青年がいた。旧制長崎医科大1年の植田泰輔(たいすけ)さん。おいの植田芳光さん(71)=神戸市須磨区=はある出会いを機に、会ったことがない叔父を身近に感じるようになった。10年ほど前から続ける毎夏の長崎訪問は新型コロナウイルス禍でかなわないが、自宅で静かに手を合わせるつもりだ。(井沢泰斗)

 泰輔さんは、姫路駅近くにあった江戸期創業のしょうゆ製造「池田屋」の跡取りだった。旧制姫路高の文科出身だが、進んだ大学は医科だった。当時、理科の学生は徴兵が猶予されており、芳光さんは「唯一の息子を生かすためだったのだろう」と推測する。

 だが結果的に、その選択が若い命を奪うことに。原爆によって、長崎医科大では学生だけで414人が犠牲になった。

 芳光さんの祖母、つまり泰輔さんの母まささんは戦後、亡きがらを捜しに長崎を訪ねたが、遺骨を持ち帰ることはできなかった。芳光さんは「悔しかったでしょうね。祖母も母も泰輔さんの話はほとんどしなかった」と振り返る。

     ◇

 跡継ぎを失った植田家は四女擴子(ひろこ)さんに婿養子を迎え、その間に生まれたのが芳光さんだった。池田屋は1969年にしょうゆ製造を廃業。不動産業を始めた父から会社を継いだ芳光さんは、95年に姫路東ロータリークラブに入会した。

 「あんた『池田屋』か。植田泰輔は知ってるか」。入会当初の会合で突然、声を掛けられた。泰輔さんと小中高の同級生だったという河野通一(みちかず)さん(95)=姫路市=だった。

 「植田君は物事をはっきり言う性格やった。あと、背が高かったなぁ。成績も良かったし、跡取りには申し分なかったと思うで」。実家の遺影でしか知らなかった叔父の存在が、初めて輪郭を伴った。

     ◇

 芳光さんはその直後、悪性リンパ腫を患う。入院中に同じ病の患者が何人も命を落としたが、治療は奇跡的に成功した。再び「生かされた」と感じ、自身のルーツでもある叔父の生涯を調べ始めた。本来当主になるはずだった叔父と、その死によって生まれ、「池田屋」の屋号を受け継いだ自身を、いつしか結び付けるようになっていた。

 芳光さんは2012年、泰輔さんの遺影を長崎原爆資料館(長崎市)に納めた。以来、毎年夏に長崎を訪れ、平和祈念館の祭壇に水を供える。

 「戦争がなければ自分はいなかったし、先祖のおかげで今の自分がある」と芳光さん。「その中で大部分を占めるのが叔父。会ったことはないが、ある意味一番身近な存在かもしれません」

総合の最新
もっと見る

天気(9月19日)

  • 27℃
  • 23℃
  • 10%

  • 26℃
  • 19℃
  • 20%

  • 29℃
  • 23℃
  • 10%

  • 30℃
  • 22℃
  • 10%

お知らせ