長崎市で9日営まれた平和祈念式典に兵庫県の遺族代表として参加した神戸市東灘区の高校教員伊野博子さん(65)。犠牲者の死体撤去のため入市被爆し、2009年に81歳で亡くなった父泰輔さんを思い、「若い世代に父の被爆体験を広め、当たり前の日常の尊さを伝えたい」と語った。
1945年7月、17歳だった泰輔さんは姫路の部隊に入営し、直後に姫路空襲に遭遇。その後、原爆投下翌日の8月10日、長崎に入り、爆心地から700メートル南東にあった大学病院の跡地付近で、救助や死体処理に携わったという。
「『お水ちょうだい』って被爆者からせがまれたけど、『死ぬからやらんでいい』って言われて、あげられへんかった」
「黒焦げの死体を『1、2、3、ポイ』と運んでいた。人をこんなふうに扱うべきだったのか」
持病が悪化して死期を悟ったころ、病床の泰輔さんはぽつり、ぽつりと自らの体験を語り始めたという。遺品整理時に原爆症の申請書類が見つかり、死後、認定された。
県内の私立高で体育教師を務め、現在も2校で講師を務める博子さんは昨年、兵庫県被爆二世の会に入会した。「頑固おやじだった父から『伝えていかなあかんで』と言われているよう。コロナ禍で浮かび上がった『当たり前』の尊さを、戦争体験も含めて若い世代に伝えたい」と思いを新たにした。(井上 駿)