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沖縄戦の体験を振り返り、島田叡・元沖縄県知事の思い出を語る三枝利夫さん=兵庫県佐用町上三河
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沖縄戦の体験を振り返り、島田叡・元沖縄県知事の思い出を語る三枝利夫さん=兵庫県佐用町上三河
島田叡氏
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島田叡氏

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、沖縄県知事として住民保護に身命を賭し、今も「島守(しまもり)」とたたえられる神戸出身の島田叡(あきら)氏。激しい地上戦が繰り広げられる中、島田氏と言葉を交わしたという男性が兵庫県佐用町にいる。同じ兵庫出身で、当時17歳の整備兵だった男性に、知事はこう告げた。「僕は必ず生きて帰る。だから君も頑張れよ」-。その言葉を支えに、男性は戦地を生き延びた。75年が過ぎた今も、優しいまなざしを覚えている。(勝浦美香)

 佐用町上三河の三枝(みえだ)利夫さん(92)。1944年10月、海軍航空隊の整備兵として、沖縄・嘉手納の飛行場で特攻兵器「桜花(おうか)」を組み立てる任務に就いた。翌年3月には地上戦が始まり、那覇市の小禄(おろく)基地へ移り、海岸の警備に当たった。

 45年6月4日、付近の半島に米軍が上陸した。三枝さんが所属する隊も襲撃に遭った。仲間を失い、土地勘もなく、気が付けば1人になっていた。途中で大隊長らに会ったが度重なる攻撃で再びはぐれ、2週間後の6月18日夜、陸軍司令部が移っていた沖縄本島南部の摩文仁(まぶに)(糸満市)にたどり着いた。

 翌19日、休んでいた軍医壕(ごう)を出ようとしたところ、看護師の一人に声を掛けられた。「ここに兵庫県出身の知事さんがいる。会ってみたら」

 壕の中には自然にできた洞窟があった。木のはしごを伝って下りると、6畳よりやや広い空間があり、薄暗い中に3、4人がいただろうか。1本のろうそくの奧に一段高くなったような場所があり、そこに島田知事が座っていた。

 三枝さんは恐る恐る、自分の出身地や海軍のことを伝えた。知事は神戸弁のイントネーションで「君も兵庫県か。懐かしいなあ」と喜んだという。年齢を尋ねられ「17歳です」と答えると、同じ年の娘がいると教えてくれた。「君も頑張れよ」と励まされた三枝さんは、ろうそく越しに知事をまっすぐ見詰めた。眼鏡の奥の目が優しかった。

 わずか数分のやりとりだった。だが、その後も三枝さんが繰り返し米軍の攻撃に遭い、仲間の死にも自分の命にも鈍感になりかけた時、故郷・佐用の風景とともに島田知事の言葉が浮かんだという。

 復員後、三枝さんは沖縄戦について調べた。摩文仁で出会ったころの島田知事が既に死を覚悟し、自分と言葉を交わした1週間後には消息を絶っていたことを知った。あの時、知事が「生きて帰る」と口にしたのは、「まだ若かった私を、勇気付けるためだったのだろう」と三枝さんは思う。

 島田氏の慰霊を続ける「島田叡氏事跡顕彰期成会」会長で、元沖縄県副知事の嘉数昇明(かかずのりあき)さん(78)=那覇市=によると、島田氏は「自分を慕って運命を共にしようとする県職員たちに『君たちは自県のために生きて帰れ』と命じる人だった」という。三枝さんのエピソードは貴重な証言と喜び、「(島田氏の)人柄がにじんでいる」とする。

【島田叡(しまだ・あきら)】1901年、神戸市須磨区生まれ。旧制神戸二中(現兵庫高校)、東京帝国大(現東大)を卒業し、旧内務省に入った。45年1月、最後の官選知事として沖縄県に赴任し、県民の疎開や食糧調達に尽力。最後まで県職員らと行動を共にし、同年6月以降、糸満市の摩文仁付近で消息を絶った。当時43歳。遺骨は見つかっていない。

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