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亡父の語った配給所の思い出を紙芝居にした余田勝子さん=朝来市和田山町安井
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亡父の語った配給所の思い出を紙芝居にした余田勝子さん=朝来市和田山町安井

 75年前の戦時中、戦地で激戦が続く一方、「銃後の守り」を強いられた人々もまた、毎日を懸命に生きていました。戦時中の日常を描いた映画「この世界の片隅に」の主人公、すずさんにちなみ、神戸新聞はNHKや全国の地方紙などと連携し「#あちこちのすずさん」と題し、ネットなどでエピソードを募集しました。当時の暮らしにまつわる2人の話を紹介します。

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 兵庫県朝来市の小学校教頭余田勝子さん(48)の実家は戦時中、柏原町(現丹波市)にあった配給所だった。7年前に72歳で亡くなった父は、戦争で兄が戦死。ことあるごとにぽつりぽつりと当時の話をしてくれた。

 厳格な祖父が実は優しかったこと。遺族に周囲が温かかったこと。余田さんは亡父の話を紙芝居にして、子どもらに伝えている。

 余田さんの祖父西山徳三郎さんは、柏原町で金物などを扱う商店を営んでいた。戦時中は塩や砂糖、油などを扱う配給所となり、まだ4歳だった父の春男さんが仕事を手伝った。

 配給用のドラム缶の油は固体で、かまどを組み、温めて溶かす必要があった。「ハル、火ぃ見とれな」。祖父はそう言って、いつも父に小さなサツマイモをくれた。焼き芋にして食べられるように。「あのイモがうれしくて、ずっとドラム缶の前で火の番をしていた」。春男さんが笑顔で語る姿を思い出すたび、余田さんは「サツマイモは父にとって、祖父のぬくもりそのものの記憶だった」と思う。

 春男さんは生前、終戦の年の秋に撮った集合写真を宝物にしていた。

 幼稚園の収穫祭の場面。70~80人の子どもらの後ろに、高さ2メートルほどのジャングルジムがあり、春男さんを含めた約20人の子が乗っている。

 乗っていなかった男の子が「わしも乗りたい」と言うと、女性教諭が涙を流して諭した。「あの子らは、お父ちゃんや兄ちゃんがお空の上におってんや。お空に一番高いところで見てもらおうな」

 10人きょうだいの末っ子だった春男さん。戦死や病気で、成人できたのは4人だけだった。余田さんは紙芝居をめくりながら言う。「たくさんの命を奪った戦争だけど、人として一番大事な心は奪えなかった。相手を思いやる気持ちがあれば戦争は止められる」(前川茂之)

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