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戦中の日常を振り返る山根ミヤ子さん=神戸市長田区雲雀ケ丘2
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戦中の日常を振り返る山根ミヤ子さん=神戸市長田区雲雀ケ丘2

 75年前の戦時中、戦地で激戦が続く一方、「銃後の守り」を強いられた人々もまた、毎日を懸命に生きていました。戦時中の日常を描いた映画「この世界の片隅に」の主人公、すずさんにちなみ、神戸新聞はNHKや全国の地方紙などと連携し「#あちこちのすずさん」と題し、ネットなどでエピソードを募集しました。当時の暮らしにまつわる2人の話を紹介します。

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 「やっと本が読める」

 山根ミヤ子さん(94)=神戸市長田区=が終戦を迎えたのは18歳の時。玉音放送を聞き、最初に頭に浮かんだのは読書のことだった。

 神戸で生まれ育ち、物心ついた頃から絵本や教科書を読むのが好きだった。しかし小学生時代に戦争が始まり、バケツリレーや竹やりの訓練で、本格的な勉強の機会は奪われた。

 軍需工場に駆り出されてからも「何に使われるか分からん部品」を無心で作り、「昼ご飯が出るから通い続けた」日々だった。長年、活字に飢えていたという。

 唯一の楽しみが、母親が買ってきた野菜や食品を包む新聞紙だった。集めて広げて何度も読み返した。「日本は勝ち続けていると思い込んでいた」

 1945年の神戸空襲で実家は全焼。焼けた建物は朝になってもあちこちで煙がくすぶり、周りには炭化した遺体が転がっていた。

 その後、身を寄せた知人宅でも再び空襲に遭った。

 逃げ込んだ防空壕(ごう)で息を殺していると、3、4歳の子どもが空腹を訴えて泣いていた。母親が口を押さえるが、泣きやまない。山根さんは非常食として、片手で持てるほどの少量の炊いた大豆をかばんに持っていたが、どうしても渡せなかった。

 「1粒、2粒でもいい。どうして『どうぞ』とあげられなかったのか。今でも申し訳なくて…」

 苦しい胸中を明かし、涙を拭った。75年間、後悔にさいなまれ続けてきた。

 「私は戦地に行ったわけでも、直接人を殺したわけでもない。それでも、みんな同罪やと思う。知らぬ間に思いやりを失い、心が壊れる。それが戦争です」(末永陽子)

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