「やっと実態として芝居を作っているという実感を持てる」。2005年に兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)が開館した際、感慨深げに語った山崎正和さん。開館から15年、地域の文化拠点として根を張る同センターに構想から参画し、芸術監督や芸術顧問を務めた。20年以上の親交がある藤村順一副館長(71)=明石市=は「芸術文化センターの礎を築いた人が失われてしまった」と死去を惜しんだ。
酒席では気さくに歓談したが、作品づくりについて意見を交わすと、射抜くように鋭い眼光で自説を説き、「言い負かされてばかりだった」。
近年は、同センター芸術監督で指揮者の佐渡裕さん(59)が指導する小中高生の弦楽団「スーパーキッズ・オーケストラ」の活躍ぶりを喜び、9月、同センターでの公演を心待ちにしていたという。
近況を聞くためにかけた7月上旬の電話が最後の会話となった。「体は動かなくなってきたが、文筆活動は続けていきたい」と気力が充実している様子だったという。新型コロナ禍により15周年の記念行事が行えず、藤村さんは「一緒に祝えなかったのが残念」と悔やんだ。
文化プロデューサーの河内厚郎さん(67)=西宮市=は財団法人兵庫現代芸術劇場(現・県芸術文化協会)で特別参与を務めたことがあり、芸術監督だった山崎さんとは30年近く前からの知り合い。訃報に「そうですか…」と絶句した。
「山崎さんの芝居は非常に論理的だったが、ご本人は発想派というか、思いつきがすごかった」
山崎さんが平成最後の文化勲章受章者であることにも触れ、その博覧強記ぶりを懐かしんだ。何を問うても答えを返してくれる「知の巨人」がまた一人いなくなったことに「さびしくなる」とつぶやいた。
「アカデミズムとジャーナリズムを結び付けることを、一生をかけてやってきました」。山崎さんは生前のインタビューでこう語っていた。閉鎖的になりがちな学問研究の世界を広く外部に開くことに尽力した。
(溝田幸弘、井原尚基)
■山崎さんが特別顧問を務めたサントリー文化財団・鳥井信吾理事長のコメント 日本を代表する知の巨人である山崎正和先生のご逝去は、新型コロナウイルスによる混乱を乗り越えるために多くの英知が必要となるさなかのことでもあり、誠に残念でなりません。まだまだその慧眼(けいがん)に触れ、示唆に富んだお言葉を盃(さかずき)を交わしながらお伺いしたかった。先生の遺志を引き継ぎ、日本と社会に貢献していく道を探っていきたいと思います。
■俳優松本白鸚さんの話 山崎先生が戯曲を書かれた「世阿弥」で主演しました。いいせりふが多く、今も思い出します。能を大成した世阿弥と将軍足利義満を巡る話で、政治権力に対する文化の存在について先生のお考えが反映されていると思います。以前「世阿弥(の役)はやっぱり、あなたですよ」とおっしゃっていただいたのがうれしかった。亡くなられたと聞き、非常に残念です。
■井戸敏三兵庫県知事のコメント 兵庫現代芸術劇場や県芸術文化協会の芸術監督として、文化芸術の普及に大きく指導いただきました。特に阪神・淡路大震災の復旧復興では、舞台を通じて県民を勇気づけていただきました。山崎先生の熱い思いが復興のシンボルとして、芸術文化センターの整備にも結実しました。
 
       
					 2020/8/22 06:30
2020/8/22 06:30

 
											



 

 
 
 
 





