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香住沖海戦で沈没した海防艦の一部とみられる鉄片。戦没者の慰霊を続ける香住青年会議所が保存している=兵庫県香美町香住区境
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香住沖海戦で沈没した海防艦の一部とみられる鉄片。戦没者の慰霊を続ける香住青年会議所が保存している=兵庫県香美町香住区境
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 太平洋戦争などで沈没した軍艦や徴用船に残されている「海没遺骨」について、原則として「水葬する」としてきた政府が方針を転換し、今秋にも収集に向けた考えをまとめる方針だ。海底深く眠る遺骨は約30万柱とされ、一層の収集を進める狙いだが、兵庫県香美町沖で米軍に沈められた海防艦の遺族らは「遺骨が帰ってきても再び悲しみを味わうだけ」と複雑な心境を吐露している。(金海隆至)

 厚生労働省によると、国内外の戦没者約240万人のうち、これまで収集された遺骨は約128万柱。残る約112万柱は相手国の事情などで未収集とされ、海没遺骨はその3割近い約30万柱を占める。

 海没遺骨については、2千隻以上とされる沈没船の引き揚げに多額の費用がかかることや、「海が安眠の場所」と解釈し、積極的に収集することはなかったという。

 転機は2016年、遺骨収集を「国の責務」と定めた戦没者遺骨収集推進法の施行。政府は24年度までの9年間を施策の集中実施期間と位置づけ、昨年12月には関係省庁の連絡会議が、海没遺骨収集を推進戦略に盛り込んだ。浅い海を中心にダイバーが船に入る方法を想定し、今秋にも基本的な考え方をまとめる。

 終戦前日の1945年8月14日に起きた「香住沖海戦」では沖約6キロで海防艦2隻が潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、乗組員計411人のうち56人が犠牲になった。

 町内で遺体を火葬した記録も残るが、艦長らは船内に残ったとも伝えられる。77年、香住高校の実習船が船体の一部とみられる鉄片を引き揚げたが、艦船の正確な位置は不明のままだ。

 同海戦で父親のいとこを亡くした女性(62)=香美町=は「遺族の思いにも濃淡があるだろうが、個人的には静かに眠らせてあげたい」と語る。

 輸送船や軍艦に乗った兄2人を南シナ海やフィリピンのレイテ沖海戦で亡くした男性(94)=同町=も政府の方針を「遺骨の大半を収集できるなら意味のあることと思うが…」と疑問視する。「兄2人は遺骨代わりに白木の箱で届けられた石ころを墓に埋めて供養してきたが、当時は何も届けられない遺族もたくさんいた。今になって遺骨が帰ってきても悲しみを二度味わうだけ」と話している。

【戦没者遺骨収集推進法】議員立法により2016年4月に施行。同法に基づき設立された日本戦没者遺骨収集推進協会が遺骨収集に取り組む。昨年12月の関係省庁連絡会議は、未収集の遺骨約112万柱について、南方戦闘地域▽旧ソ連抑留中死亡者の埋葬地▽情報なし▽相手国・地域の事情で収容困難▽沈没した艦船-の区分ごとに収集方針を定め、各年度の実施計画を立てるとした。沈没船には軍艦のほか、兵士や物資の輸送のために使われた民間の徴用船が含まれる。

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