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「見えるようになった時のため、子どもの写真や動画を撮影しておいてと夫にお願いしています」と話す前川裕美さん=宝塚市内
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「見えるようになった時のため、子どもの写真や動画を撮影しておいてと夫にお願いしています」と話す前川裕美さん=宝塚市内

 「私に似ているという息子の顔を見てみたい」。もし視力が回復したら何を見たいかと尋ねると、失明した母親はすぐに答えた。神戸アイセンター病院で始まる人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いた視細胞移植。当面は安全確認が主目的だが、対象になる難病「網膜色素変性症」の患者には、希望の光が差し込んでいる。

 宝塚市の音楽家、前川裕美さん(42)も臨床研究に期待を掛ける一人だ。

 5歳のころから目が悪く、幼稚園からコンタクトレンズをしていたが、矯正視力は0・5程度。自宅近くの眼科に通い、片目に眼帯を着けて階段の上り下りをする訓練などを続けたが、あまり効果はなかった。

 一方で視野はどんどん狭くなった。小学校のドッジボールでは、投げられた瞬間消えたボールが、急に目の前に現れた。中学生になると、友人の顔が部分的にしか見えなくなった。

 小学5年生で病院を紹介され、網膜色素変性症と診断されたとき、医師から言われた四つの言葉を覚えている。

 「治療法はない」「遺伝する」「悪化する」「いずれ失明する」。特に四つ目が心に刺さった。「花や空も、いつか見られなくなっちゃうのかな」

 幼少期から学んだ音楽が支えになった。5歳からピアノ、中学から作曲理論、高校から声楽を始め、大学はアメリカの名門「バークリー音楽大学」に進んだ。2003年に帰国し、音楽活動や講演活動を続ける。14年からは宝塚市大使も務めている。

 結婚したのは06年。同疾患は遺伝の可能性があるとされ、子どもをつくることにためらいがあった。

 だが、iPS細胞による再生医療の話が聞こえてくるようになり、医療の進歩を信じて出産を決意した。

 ついに視力が失われたのは、長男が生まれた年だった。「どんなに見えづらくても、見えていたことは、私が生きていく大きな支えになっていた」と前川さん。移植手術がいよいよ始まると聞き、「見たいものはいっぱいあるが、一番は、一度も見たことがない息子の顔。まだまだ先とは分かっているが、期待を抑えられない」と話す。

 長男は今年、小学1年生になった。

     ◆

 前川さんも所属する「兵庫県網膜色素変性症協会」には、約180人の会員がいる。

 同疾患で失明した野村明紀会長(62)=尼崎市=は「2014年にiPS細胞を使った網膜色素上皮の手術が神戸であったとき、遠くに星のような光が見えた気がした。徐々に光は強くなり、今は満月のようになっている」と話す。(霍見真一郎)

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