■死亡確認
2010年10月4日午後11時ごろ。自宅から500メートルほど離れた自動販売機のそばで何者かにナイフで刺された堤将太君は、救急車で兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)に運ばれることになった。17歳の誕生日は6日後だった。
すでに意識はない。
ドクターカーを要請したが、北区まで来るには時間がかかる。途中で救急車とドクターカーが落ち合い、医者が治療しながら搬送することになった。
夫婦2人は別の救急車で追いかけた。見失ったら、二度と会えない-そんな気がした。
■
映画やドラマではないのか。父の敏(さとし)さん(61)と母の正子さん(63)はどこか上の空だった。
だが、救急車に立ちこめる薬品のにおいが、現実に引き戻す。新神戸トンネルは、どこまでも続く暗闇のようだった。
ただ無事を祈った。誰が将太を傷つけたのか-。そんなことは考えもしなかった。
集中治療室に運ばれると、家族でも入室は許されなかった。待合室に、長男、長女、次女、次女の婚約者が集まった。
暗く冷たい病院の廊下を何度も行き来した。どれくらい待っただろう。
医療関係者に呼ばれて入った治療室で、医師が心臓マッサージを続けていた。
「将太!」
家族が名前を呼ぶ。ほかの言葉は出てこない。
〈将太なら元気になる〉〈このまま死んでしまうのか〉〈夢じゃないのか〉
混乱の中、いろいろな思いがこみ上げた。
医師が告げた。「脳波が止まっています。このまま心臓マッサージを続けても、効果はありません」
「やめるかどうか、決めてください」
当然断った。
やめられるわけがない。父の思いだった。
だが、看護師をしていた次女はこう言った。
「もう将太を楽にしてあげて」。……。父はマッサージの中止を受け入れた。
5日午前0時26分。将太君の死亡が確認された。
■
司法解剖に回された。
事件翌日は神戸北署や病院で過ごした。父はずっと半袖半ズボンの寝間着姿だったので、次女が上着を取りに行ってくれた。
自宅に帰ったのは5日の深夜か6日の未明。病院の前に張り付いた大勢の記者を避けながら、次女の婚約者の車で帰宅した。
将太君の靴や服がいつも通りの場所にある。ただ、身につける息子はもういなかった。(西竹唯太朗)











