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「今回の受賞は本当にラッキーなこと」と喜びを語る黒沢清監督=神戸市中央区御幸通8(撮影・秋山亮太)
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「今回の受賞は本当にラッキーなこと」と喜びを語る黒沢清監督=神戸市中央区御幸通8(撮影・秋山亮太)

 世界三大映画祭の一つ「ベネチア国際映画祭」コンペティション部門で銀獅子賞(監督賞)を受けた「スパイの妻」が公開され、受賞後初めて、黒沢清監督(65)が出身地・神戸に凱旋した。舞台あいさつ後、取材に応じ、ロケ地としての魅力から、幼少・青春時代の思い出まで、ふるさと神戸について、たっぷり語った。(片岡達美)

 「スパイの妻」は1940年前後の神戸を舞台に、偶然、日本の犯罪行為を知ってしまった実業家(高橋一生さん)とその妻(蒼井優さん)がそのことを明らかにしようと画策する物語。黒沢監督初の歴史もので、メロドラマの要素を盛り込みつつ、時代の波にほんろうされた夫婦の姿を通して個人と社会のあり方を問う。

 昨年の撮影以来、神戸は約1年ぶりという黒沢監督。まず、夫妻の私邸となった旧グッゲンハイム邸(神戸市垂水区)について触れ、「物語の最も重要な場所。神戸にグッゲンハイム邸があってよかった。出合えていなければこの映画は成立しなかった」といい、「昨日まで人が住んでいたようなたたずまいを残しつつ保存されている。それを気前よく貸してくれ、本当に感謝している」と絶賛した。

 市電に乗る場面では、同市須磨区・名谷車両基地で保管されている古い車両を使用。憲兵隊本部として神戸税関(同市中央区)の外観も登場する。ただ「散歩する山を六甲山としているが、本当は筑波の山。須磨の海岸も千葉で撮った。神戸の方が見たら一目で違うとわかるだろうが、そこはご勘弁を」と苦笑する。

 作品の舞台となった40年頃の日本を黒沢監督は「対外国に高い壁を造り始め、内向的になっていた時代」と見る。人々は不承不承、がまんしていたが、「人の心にまで、そう簡単に壁は作れない。幸福、自由は広い世界の中で獲得するもの」と黒沢監督。「港町として世界に門戸を開いていた神戸は、その象徴としてぴったりだった」と説明する。

 「われわれはその後の歴史がどんな道のりをたどったか知っている。その延長上に現代があることにまで思いをはせてもらえたらうれしい」

 高校まで暮らした神戸・阪神間での思い出にも話は及んだ。

 神戸市立高羽小、引っ越した先の芦屋市立山手小、私立六甲中・高校を通して映画漬けの日々。初めて見た映画は「『モスラ』か『怪獣ゴルゴ』のいずれか。とにかく怖かったのを覚えている」。3本立てで一日中、館にこもったこともしばしばだ。高校生になり、行動範囲が広がると「『ビッグ映劇』や『阪急会館』にもよく行きました」と懐かしんだ。年間、100本は見たという。

 それほど映画にのめり込んだのは「学校の授業と関係なかったから」。勉強嫌いだった黒沢監督は、「映画に関しては自分が一番たくさん見ているし、知っているという自負があった」と振り返る。「でもそのころは監督になるとは夢にも思わなかった」

 銀獅子賞受賞の知らせから1カ月余り。多くの人に祝福され、たくさんの取材を受けたが、作品が公開され、「そろそろ“お祭り”も終わりかな」。今はほっとしたような、少し寂しいような気持ちだと話していた。

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