現在の兵庫県丹波市柏原町出身で、江戸時代に「元禄(げんろく)の四俳女」の一人とたたえられた俳人・田(でん)ステ女(じょ)。後半生は仏の道に進んだステ女ゆかりの姫路市の尼寺に、異色の経歴の尼僧がいる。さまざまな悩みを持つ人の相談に乗りながら、寺に気軽に足を運んでもらうための行事なども企画。「女性のための癒やしの場に」と奮闘している。(末永陽子)
「雪の朝 二の字二の字の 下駄(げた)の跡」。わずか6歳で詠んだという句「雪の朝」で知られるステ女。俳人として名をはせ、5男1女にも恵まれ幸せな日々を送っていたが、夫に先立たれる。その失意から、平安を求め、40歳を過ぎて仏の道を選んだといわれる。
出家後は、姫路の網干出身の盤珪(ばんけい)和尚に師事し、龍門寺(姫路市網干区)で修行を重ねた。その後「貞閑(ていかん)」と改名。多くの尼僧を育てる中、「女性のための寺」として禅寺の不徹(ふてつ)寺(同市網干区浜田)を創建したが、完成前に亡くなった。
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約4年前、その不徹寺の庵主(あんじゅ)に就いたのが元看護師の松山照紀(しょうき)さん(58)だ。縁もゆかりもない姫路で複数の寺院を訪ね歩く中で「山門をくぐった瞬間、直感的に決めた。何か導かれるものがあったんでしょうね」。ステ女は知っていたが、ゆかりの寺と分かったのは庵主に就いてからだったといい、「ステ女も女性のためのお寺を目指していた。不思議な縁を感じます」とほほ笑む。
松山さんは福岡県出身。妊娠を機に学生結婚し、その後シングルマザーになった。インドでボランティア活動に携わったり、看護師として国内の離島で終末期医療に取り組んだりした後、48歳で出家した。
「仕事の人間関係にうんざりした」「死を間近にした家族に、どんな言葉を掛けたらいいか」「幼くして娘が亡くなってしまった」…。庵主に就いてから、さまざまな悩みを受け止めてきた。「生きてさえいればやり直しはきく」「大丈夫、大丈夫」…。松山さんは、生きづらさを抱える人たちに優しく寄り添う。経験に裏打ちされた言葉や、朗らかでおおらかな人柄に救われる相談者は多い。
毎朝午前4時半から、フェイスブックで読経をライブ配信するほか、座禅会や写経会を定期的に企画。今秋からは、お香を使った瞑想(めいそう)会や和菓子を作る会も開き、予約に応じて茶会席も始めた。
地元ではあまりステ女や不徹寺が知られていないこともあり、「もっと気軽に足を運んでもらえるお寺にしたい。心の“ごみ”を捨てられるようなよりどころになれれば」と語る。
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現在、姫路市本町の兵庫県立歴史博物館で開催中の特別展「女たちのひょうご-千姫から緒方八重まで」(神戸新聞社など主催)ではステ女が題材の浮世絵などを展示。不徹寺も、仏前に掛ける戸帳などを複数出品している。11月23日まで。月曜休館(23日は開館)。大人千円など。同館TEL079・288・9011











