神戸市中央区で26日開かれた第73回新聞大会(日本新聞協会主催)で、元メジャーリーガーのイチローさんが「スポーツが持つチカラ」をテーマに講演した。イチローさんが公の場で話すのは引退会見以降初めて。聞き手役はフジテレビアナウンサーの三田友梨佳さん。内容は次の通り。
■球が速くなった
-未知なるウイルスとの戦いで大変な1年でしたが、どのように過ごしていたんですか。
「キャンプ地のアリゾナに向かい、チームのお手伝いをしていたんですが、3月18日に強制的にキャンプ終了となりました。一番に考えたのが、自分の体の状態をキープするためにどこにいたらいいのかということ。3月の終わりに日本に帰ってきて、体を動かせる場所を何とか確保して、日々走って、投げて、打って、たまにゴルフして、そんな風に過ごしていました」
「現役の時、シーズン中は特にそうですけど、追い込むことができなかった。今はできてしまうので、現役の時よりもきついですね。47歳なんですけど、球が速くなったんですよ。受けた人全員に、重い球になったと言われた。面白い発見があると実感しているところです」
■引退試合の意味
-改めて引退試合や会見を振り返ると。
「あの瞬間、よく思い出すんですよ。あれが2020年だったらどうだったんだ俺は、とよく考えます。だって東京で試合できないし、最後の瞬間もないし、引退の会見もないし。リモートでやめますと言わなきゃ仕方がない」
「どうやって運命って決まってるんだろう。あれがあるとないとでは、僕の今の気持ちは全く違うものだった。あの瞬間があったから、すぐ試合が見られた。未練が全くないですよね。そういう意味で後悔の仕方が分からないくらい、そんなものはない、と思わせてくれる瞬間でした」
-どんな時に思い出しますか。
「特別な瞬間じゃないですよ。今こうやって気持ちよく体を動かせている。あらゆる時に思い出します。こうやって皆さんと会えてお話していることも、あの瞬間に支えられている。だからどうやってやめるのか、というのは、どういう選手であるか以上に大切なんだろうな、と僕は思いました」
■メディアとの関係
-メディアとの関係について。
「これはね、1994、95年だったと思うんですけど、何かの記録が止まった試合後に(記者に)「どんな気持ちですか」と来られたんですよ。何か失礼な聞き方だなと思ったし、まだ20歳そこそこかな。僕は初めてレギュラーになって、全力でやって、結果どんな年だったか見ないといけない。記録とか言ってられないんですよ」
「当時は新聞を見ていたんです。自分が出ているとうれしくなって。どうですか、と聞かれて『別にどうってことないけど』と言ったら、「本音はオブラートに包んだまま」と表現された。いやいや、俺は本音だし。その時思ったのは、記事は決まっていて、こうやってはめられていくんだなと思いました」
「先輩からは、メディアとはうまくつきあえ、とよく言われた。でも、僕にとっては『うまくやる』とはならない。つまり、互いに厳しくできない関係はうまくない。むしろ駄目な関係だろうと。僕が関係を築く時は、互いを高められる関係でいるのが理想的だなと思った」
