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京都大学時代のユニホームを手に、医師としてのやりがいを語る大久保さん=西宮市六湛寺町、兵庫県立西宮病院
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京都大学時代のユニホームを手に、医師としてのやりがいを語る大久保さん=西宮市六湛寺町、兵庫県立西宮病院
京大のアメフト選手時代の大久保さん(手前の46番、本人提供)
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京大のアメフト選手時代の大久保さん(手前の46番、本人提供)

 兵庫県立西宮病院(西宮市)の救命救急センターに、強豪の京都大学アメリカンフットボール部で活躍し、卒業後は社会人チームのプロコーチとして日本一を経験した医師がいる。突っ走ったアメフト一筋の人生は、28歳の時に一転。「リーマン・ショック」でチームが活動休止となり失業し、一念発起して神戸大医学部に合格した。現在はコロナ禍で混乱する医療現場で、アメフトで培った緊迫した場面での判断力を生かし奮闘する。(霍見真一郎)

 神戸市出身の大久保聡さん(40)。同市灘区の六甲中学(現六甲学院中)に入学した1993年、「防具があってラグビーより痛くなさそう」と、前年創設されたアメフト部に入った。当時、兵庫の中高アメフト界は関学が「絶対的王者」。大敗が続いたが、何とか勝とうと努力を重ね、六甲高2年だった97年、春季県大会で26年間無敗の関学高相手に13対12で歴史的勝利を収めた。その日関学から初のタッチダウンを奪ったのは大久保さんだった。

 しかし、翌年は敗戦。「打倒関学」の思いを貫き、京都大文学部に入学し、関学大のライバルだった憧れのアメフト部「ギャングスターズ」に入った。名将水野弥一監督(当時)の指導の下、日本一を目指して身を削った。腰の手術もしたが、4年生秋のリーグ戦最後の2試合では、キャプテンも任された。引退後も2年間コーチとして残り、チームを支えた。

 その後、社会人チームの「オンワードスカイラークス(当時)」に声を掛けられ、プロコーチに。そして2007年1月の日本選手権「ライスボウル」で、学生日本一の法政大を破って優勝した。

 しかし、その翌年のリーマン・ショックでチームが活動休止になり、仕事を失った。結婚したばかりで子どもが1歳にもなっていなかった。「手に職を付けないと」と悩み、腰を痛めた時に世話になった整形外科医の存在もあり、医師を志した。受験生だった頃から10年が過ぎていた。それでも「針より細い光だとしても、京大が関学に勝つより可能性が高く思えた」。

 予備校代はなかった。妻の実家に引っ越し、妻に働いてもらって、受験勉強に専念した。1日平均12時間は机に向かい、1回で神戸大医学部に合格した。奨学金を受けて学び、医師になってからは明石の病院を経て、今は県立西宮病院で救急現場に立つ。医師になって5年、専攻医最終の本年度、大久保さんは“不惑”の40歳を迎えた。

 コロナ禍で、同病院も当初は混乱した。限られた条件下、瞬時に取り組むべきことを決める判断力とチームプレー。アメフトと救急現場には共通点も多いという。

 アメフトと同様に、緊張感の中で行う救急医の仕事にやりがいを感じるという大久保さん。「ぎりぎりの場面で判断を迫られてきた経験が生かせる。危機的な状況の患者を前に、ちゅうちょせず動いて救命できる医者になりたい」と話している。

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