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公開された赤穂義士最期の地。石のある場所で大石内蔵助らが切腹したとされる=東京都港区
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公開された赤穂義士最期の地。石のある場所で大石内蔵助らが切腹したとされる=東京都港区

 赤穂義士が吉良邸に討ち入りを果たした日の14日、大石内蔵助ら17人が切腹した旧熊本藩細川家の下屋敷跡(東京都港区)が公開され、多くの忠臣蔵ファンが訪れた。

 切腹の跡地は赤穂義士らが眠る泉岳寺から北に数百メートル離れた場所で、現在は港区立高松中学校の敷地になっている。義士の研究者らでつくる「中央義士会」が1960年に史跡として整備。普段は門が閉ざされているが、討ち入りの日などに合わせて同会が公開している。

 大石内蔵助らが切腹したとされる場所には石が置かれており、義士の最期の場所が分かっているのは細川邸だけだという。この日は同会の中島康夫理事長(79)らが絵図や屋敷図などの資料を交えて、「介錯人は上級武士が務めた」などと説明。見学者は歴史的事件の現場を熱心に見つめていた。(今福寛子)

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