国や自治体が長年、変えようとしてビクともしなかった東京一極集中が揺らいでいる。新型コロナウイルスは都市の弱点をあらわにした。密を避け、地方を求める人や企業がじわりと増えている。この流れは加速するのか、否か。2021年の元旦は、山を買った若者たちの物語から始めたい。(前川茂之)
空が高い。澄んだ空気がごちそうだ。
ここは兵庫県香美町小代区。東京のNPO法人が「日本で最も美しい村」と認めた地区に、大阪府の会社員、上山恭平さん(29)、知沙子さん(28)夫婦は山を買った。
理想のキャンプ場をつくる。それが目的だ。今年夏のオープン予定だが、延びてもいい。「山は一生完成しない遊園地みたいなものなんで」。気負わず、焦らず、楽しむことが最優先。
手に入れた山は13万坪(約43万平方メートル)。甲子園球場11個分と聞いても、広すぎてピンとこない。
価格は800万円。300万円の予算は完全にオーバーしたが、眼下に広がる棚田風景が気に入った。
あれもしたい、これもしたい…。妄想が膨らみ、即決した。2018年暮れのことだ。
以降、夫婦は堺市の自宅から毎週末、車で3時間かけ、「開拓」にやって来る。草を刈り、整地し、木を切って、小屋を建てる。ネットを駆使したら、たいがいのことは分かる。
中古でパワーショベルも買った。掘り返したばかりの土は、ふわふわで柔らかい。
もともと人混みが大の苦手だった。だから、大学進学でも、就職でも、東京への憧れはなかった。
結婚し、山を買った1年後、世界と日本をコロナが襲う。すると、2人の密(ひそ)やかな企(たくら)みは急に注目されるようになる。
タレントのヒロシさんが動画投稿サイト「ユーチューブ」にアップした「ソロキャンプ」が人気を集めると、夫婦の投稿動画も10万回以上の再生回数を誇るようになった。
ゆる~い雰囲気が受け、ツイッターのフォロワーは約5千人に。「私もキャンプ場を開きたい」「泊まりに行かせて」。そんな相談や応援が連日寄せられる。
山林売買を仲介するサイト「山林バンク」を運営する「マウンテンボイス」(和歌山県)によると、昨年4月以降、問い合わせは10倍近くになり、9月は過去最多の約650件を記録した。
辰己昌樹社長は「個人で山を持ちたいという人の大半が『癒やされたい』という目的。これまでは50代以上が多かったが、今は30~40代が中心」と話す。潜在的にあったニーズがコロナで爆発したらしい。
コトコトと音がする。恭平さんがたき火で沸かしたスープに口を付ける。
「都会だと毎日、息苦しいマスクをつけて、人との距離を気にして。生活しているだけで疲れてしまう。山に来ると、そういうもの全部、吹き飛んでいく気がするんです」
■自分の好きなこと、見つかった 甲子園11個分夢を開拓する場
山の日暮れは早い。
空と木々の境界がにじんで消え、漆黒の夜が訪れる。気がつくと満天の星だ。
兵庫県香美町小代区に甲子園球場11個分の広さの山を買った会社員の上山恭平さん(29)が語り始める。
「ずっと、自分の好きなことが分からなかったんです」
生まれたのはバブルが崩壊した1991年。平成不況のただ中に育った、いわゆる「ゆとり世代」だ。「さとり世代」とも呼ばれる。戦後の日本をけん引した団塊の世代がつくりあげた「成功のひな型」は、いつの間にか崩れていた。
だからなのか、東京に憧れを抱いたことも、高給取りになりたいと思ったこともない。就職活動の希望は地元大阪で働くことだけ。
おれって何者?
パソコンに向かい、検索ワードに「やりたいこと 見つからない」と打ち込んだこともあった。
だけど、今は違う。
五感がフル稼働している実感がある。探していたものが、やっと見つかった気がする。
類は友を呼ぶ。
晩秋のある日、夫婦の山に若い兄弟が訪ねてきた。
地元に住む伊藤達巧(たつよし)さん(27)と敦紀さん(25)。ツイッターを通じて知り合い、時々キャンプ場づくりを手伝っているらしい。
敦紀さんは東京のウェブエンジニアだったが、コロナ禍で都会暮らしに疑問を感じ、最近帰郷した。
「彼らとはゲームの趣味が合うんです」と、上山さんの妻、知沙子さん(28)。以前、家庭用ゲーム機を森の中に持ち込んでスクリーンを張り、夜通し遊んだ仲らしい。
キャンプしながらテレビゲーム? 「私たち、本当はインドア派なんで」
知沙子さんがにっと白い歯を見せた。
アウトドアがブームだ。
専門家によると理由は三つ。一つは約30年前の「第1次キャンプブーム」を体験した世代が親になり、家族で楽しむようになったこと。二つ目。会員制交流サイト(SNS)で気軽に情報発信ができるようになり、非日常の生活に「いいね」が集まるようになったこと。
そして、都市の過密だ。
総務省によると、東京、名古屋、大阪の三大都市圏の合計人口は54年の統計開始以来、ほぼ転入超過を更新。2019年の鉄道主要区間の平均混雑率は東京圏が163%、名古屋圏132%、大阪圏126%。
すし詰めの満員電車は日常だった。そこへ新型コロナウイルスが押し寄せた。
菊池正久さん(39)=川西市=も癒やしを求めて山を買った一人だ。
昨年10月、兵庫県多可町にある8500坪(約2万8千平方メートル)の山を580万円で購入した。自宅のローンも残っているが「なんとかなる」と思い切った。
菊池さんと妻の愛子さん(35)は共に介護現場で働く。高齢者への感染を防ぐため、職場にはいつも緊張が満ちている。ストレスを自宅に持ち込み、2人の子どもに当たった。
「家の中で誰かがいつも怒っていた」。そんな雰囲気を打破したかった。
ひと遊びを終えた長男の那音(なおと)君(11)が、まきストーブの火を見ながらつぶやく。「山はいいよ。学校で嫌なことがあっても気にならない。僕には山があるって思えるようになった」
周辺には、かつてブームになった別荘が立ち並ぶ。管理や税金、災害への備え。山には当然リスクがある。責任もある。
「でも大丈夫。山と一生付き合う覚悟、してますから」
菊池さんが再び山に入っていく。足取りは軽い。(前川茂之)
