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故郷を離れて勤務する大崎慶子さん。「今も母に会いたい。会って話がしたいです」=2020年11月、三重県伊賀市上野桑町、岡波総合病院
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故郷を離れて勤務する大崎慶子さん。「今も母に会いたい。会って話がしたいです」=2020年11月、三重県伊賀市上野桑町、岡波総合病院
大崎陽子さん(大崎慶子さん提供)
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大崎陽子さん(大崎慶子さん提供)

 兵庫県の淡路島に住んでいた小学4年のとき、阪神・淡路大震災があった。その日から、大好きなお母さんに会えなくなった。涙で何度も枕がびしょびしょになった。散歩しながら1人で泣いた。でも、母娘の間には約束があった。「小児科医になる」。大人になり、それは現実になった。病院で働き、子育てに追われる今、あらためて思う。姿は見えないけど「母の愛をずっと感じていた」と。(中島摩子)

 旧北淡町(淡路市)出身の大崎慶子さん(36)。実家は造船所を営み、3人きょうだいを育てていた母の陽子さん=当時(33)=は「働き者で、勉強熱心で、よう笑う母だった」という。

 1995年1月17日。慶子さんらは鉄筋の家で寝ていたが、陽子さんは早く起きて近くの母屋に行っていた。激しい揺れで、木造の母屋は全壊。陽子さんは下敷きになった。

 父が「あかんかった…」と言ったのを覚えている。慶子さんは、がれきの中から出された陽子さんに触れた。「冷たかった。これはお母さんじゃないと思った。これは抜け殻や。どこかにいるんかな、って」

 その後、棺(ひつぎ)に入った母の顔は見なかった。火葬場にも1人だけ行かなかった。

    ◇    ◇

 母がいない生活。夜になると、悲しくて仕方がなくなった。1人起きて、陽子さんが編んでいた写真アルバムを繰り返し開いた。

 まめだった陽子さんは写真にたくさんのコメントを添えていた。「お母さん、そういうこと言うよね…」。そう思いながら、近くにいる気がした。自分を見てくれていると思えた。

 陽子さんは、慶子さんが低学年の頃から「子どものお医者さん、いいと思うな」と何度も言っていたという。当時は「何?」と思っていたけれど、高学年になるころには小児科医の将来を描くようになる。

 「お母さんが喜ぶんやったらなりたいなって」

 大学は兵庫医科大(西宮市)に進んだ。小児科医の過酷な勤務などを知り、皮膚科に心が向いたときもある。それでも、悩んだ末に初心に帰った。

 小児科に入局を決めた研修医2年目の冬。小学校の校庭に埋めてあったタイムカプセルが開けられた。中には、小学6年時につづった手紙が入っていた。

 「夢がかなってたらいいな…。小児科。お医者に向かっている夢なら。だって、お母さんと、やくそくしたしね」-。選んだ道に自信が持てた。

 兵庫医科大病院や六甲アイランド甲南病院で勤務した後、結婚で移り住んだ三重県伊賀市の岡波総合病院で働いている。2018年には双子の男児を出産した。

 今、母に勧められた道を歩んでいる。陽子さんはどう思っているだろう。「しめしめ、って思ってるかな」。慶子さんはそう笑いつつ、やりがいを口にした。

 「関わる子どもたちを元気に、笑顔にしたい。小児科医になって良かった」

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