6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から26年を迎えた。
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17日未明、神戸市長田区の大国公園。野田北部地区で亡くなった約40人の追悼行事で、橋詰義郎さん(77)はろうそくに火をともし、妻の妙子さん=当時(47)=を思う。あの瞬間が数分後に迫っている。
26年前、自宅の同じ部屋で妙子さんと寝ていた。激しい揺れに家は倒壊。上階で寝ていた息子、娘は無事だったが、夫婦はがれきの下敷きになった。妙子さんの脚に太い梁が落ちた。
生き埋めになったまま「子どもは?」と妙子さんは心配した。暗闇の中で手を握った。
「子どもは大丈夫」「がんばれ、がんばれ」
自分も肩を脱臼していたが、痛みは感じなかった。明るくなるころ、義郎さんは近隣住民に助け出された。妻を助けようとしたが、周囲に止められ、軽トラックで病院に運ばれた。数時間後、同じ病院に運ばれた妻の死を告げられた。脚の圧迫に起因するクラッシュ症候群だった。
家庭的な妻だった。思い出すのは、刺しゅうをしたり、料理をしたりする姿。「水や空気みたいな存在だったのに」。一緒に旅行するような、当たり前の老後がかなわないのが悲しい。
結婚して四半世紀。失ってから同じだけの時間が巡った。妻を忘れたことは一日もないが、思いは心にしまってきた。
少し心に変化が生まれたのは数年前。自治会長に就任したのが縁で、地元の小学校に防災の授業での講話を依頼されたのだ。
地区の西側で火の手が上がったこと、大国公園の樹木が盾になり延焼が止まったこと、予測される南海トラフ地震のこと、それから妻を亡くしたこと-。
児童の感想文からは「今を大切にしたい」という思いが伝わってきた。翌年も依頼を受けた。
「地震を知らない子どもたちに、少し実感を持ってもらえたと思う」と義郎さん。次の世代に同じ経験をしてほしくない。今年は新型コロナウイルスの影響か講話はなかったが、機会があればまた話そうと思う。
時報が2021年1月17日の午前5時46分を告げる。誰かの「黙とう」の声。あの時と同じ暗闇の中、妙子さんに語り掛ける。
「なんとか元気でやっているよ」。返事があった気がする。「ようがんばっていると思うよ」と。(那谷享平)
■阪神・淡路大震災
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