「大きくなったな」。兵庫県養父市八鹿町の坂本秀夫さん(75)は背丈を優に超すクスノキを見上げ、目を細めた。阪神・淡路大震災で犠牲となった息子、竜一さん=当時(22)、神戸大3年=が運んできた「命」だ。
夜に親子で外食し、それぞれ帰宅した翌朝だった。竜一さんが下宿していた神戸市灘区の木造アパートは激震で全壊。身動きが取れなくなった竜一さんは、別の建物から移った炎にのまれた。逃げていてくれ-。父の祈りは届かなかった。
5年後。神戸大の慰霊献花式で、慰霊碑の玉砂利の隙間に若いクスノキの芽を見つけた。愛息からの便りか、何かの因縁か。とにかく育ててみたくなった。
竜一さんが眠る墓地の脇に植えると、見る見る伸びた。秀夫さんは雪対策の囲いを整え、特製の銘板を付けた。「枯れそうになってもまた伸びる。強いよ」。一人息子の後を継ぐように成長した葉や幹を見やる。
「もう1カ所見せたい」と秀夫さんが車を止めたのは、過去に台風で地滑りが起きた集落。被災時に避難場所がなかった教訓からできた集会所の前に、クスノキがすっくと立っていた。秀夫さんが神戸大から持ち帰ったもう一つの芽が、災害の記憶を伝えるシンボルとして植えられたという。
大震災は多くの命を奪った。だが人が思いをつなぐ限り、その中で生き続ける。(竹本拓也)
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